京 都 散 策  
(京都名所めぐり)

「 平安神宮のあやめ 」  




平安神宮 平成十五年(2003)六月十四日。 京都も梅雨の季節に入ったようである。 朝から降ったりやんだりしている。  梅雨の花といえば、あやめかアジサイ。  水上勉氏の京都花暦では、衣笠山等持院の夢想国師作庭の芙蓉池に咲く紫のあやめが美しかったと、その様子をくわしく書いておられる。  また、少年時代にすごした相国寺の方丈池畔のことも瞼に浮かぶと書かれているが、 水上氏はあやめの名所には興味はなかったようで、名所のことは分からないと述べておられる。  案内書を見ると、平安神宮には、あやめ、かきつばたなどが植えられている、とあるので、訪ねてみた。  修学旅行ではかならず訪れる平安神宮であるが、歴史が浅いことを知ったのは、大学に入り、時代祭の祭礼にアルバイトで参加したときである。  明治維新後、都が江戸に移されたため、京都の市民の落胆は大きかった。 

平安神宮 東京への意地もあり、平安遷都千百年の明治二十八年(1895)、平安京を造った桓武天皇を祀る神社として創建したのが、平安神宮である。  また、皇紀二千六百年の昭和十五年(1940)には、東京に遷都する前の第百二十一代、孝明天皇がこの神社の祭神に加えられていることからも、 市民の東京に対する敵愾心が感じられる。  時代祭は、京都はこのように歴史があることを示すことから始まった祭である。  小生が大学にいたのは、昭和三十二年から三十六年、アルバイトといえば、家庭教師が一番、現代のような飲食店でのバイトはなかった。 京都らしいのが、映画の エキストラと大掃除、そしてお祭りの神輿担ぎだった。 
平安神宮 京都は神社が多く、祭礼も多かったので、地元だけでは人が足らず、特に神輿を担ぐ若いひとを必要としていた。 映画は最盛期で、太秦では多くの 時代劇が撮影され、エキストラの募集も多かった。 日当は安く、撮影時間が何時になるのか分からなく、待機時間は長かったが、その間 本が読めたので、何回か行った。 京都の町屋はウナギの寝床になっていて、畳が蒸すのか分からないが、家の大掃除はしっかり行われ、 力仕事に学生が雇われたが、これはかなりハードで、畳をたたく、拭くはもちろん、天井の板まで舐めるようにふくよう指示された。 
平安神宮 当時人気があったのは、食事付きであった。  戦争が終わってかなり経っていたが、配給通帳でお米を購入する時代であったので、食事が振舞われるアルバイトは人気があったのである。  工場勤務は日当は高いが、食事はなく腹が減るので、人気はなかった。 家庭教師と大掃除はそれに該当。  一番人気はお祭りで、これは食事だけでなく、お酒も飲めたからである。  半世紀にもなる遠い過去の思い出で、子供に話してもとりあってくれない昔の話である。  今回は、スライドにもなるリバーサルフイルムで、三脚を立てて、しっかり写したが、 そのような思い出に浸っていたせいか、帰る際、フィルターとフイルムを入れておいたファイルを忘れて、 後味の悪い旅になった。 

平成15年(2003)6月


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