京 都 散 策
(京都名所めぐり)

「  秋の嵯峨野をめぐる旅 」





落柿舎 平成十八年(2006)十一月二十八日、 友人と嵐山で別れた後、時間があったので、付近を散策することにした。  嵐電嵐山駅を右折し、山陰線の越えてすすむと、田園風景に溶け込むように立つのは落柿舎である。  俳人、向井去来の草庵跡で、 庭の柿を商人に売り渡すことを決めたその夜、嵐で柿の実がすべて落ちてしまったことが名前の由来である (右写真)
部屋には、去来の師である芭蕉から贈られた落柿舎制令の文が掲げられている。  人力車にのると、それぞれの名所を説明付きで案内してくれる。 人気スポットなので、すぐに
野々宮神社 大集団がやってきたので、立ち去らざるをえない。  その先に、二尊院、祇王寺、滝口寺があるが、この様子では入れないと思い、またにすることにした。  常寂光寺は紅葉の名所なので、 閉寺間近に行くことにして、山陰線の踏切を渡り、野々宮神社に向かった。 
野々宮神社は、竹林の中にある、野宮大黒天を祀る小さな神社である (右写真)
野宮とは、平安時代から鎌倉時代にかけて、天皇の代わりに伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が、身を潔めるために籠った 場所なのである。 源氏物語の賢木(さかき)の巻には、
天龍寺法堂が
見える 光源氏が斎宮を訪れる場面が描かれている。  クヌギの木を使った黒木の鳥居をくぐった境内には、触っただけで願いが叶うといわれる亀石があり、 若いカップルが多く御参りしていた。 道の先にある小さな道を行くと、墓地に突き当たる。  墓石に覆うように黄色と紅色の紅葉があり、墓地の先には天龍寺の法堂が見えた (右写真)
天龍寺は、延元四年(1339)、足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるために建立した寺である。  京都五山の筆頭にあげられる格式の高い寺で、臨済宗天龍寺派の本山である。  創建以来、何度も兵火に遭ったため、現在の建物は明治以降のものであるが、夢窓疎石が
天龍寺の紅葉 作庭した曹洞池庭園だけが当時の面影を残している。  天龍寺の正面に向かうと、大型バスの駐車場があることもあり、大変多くの人が歩いていた。  曹洞池庭園は、 方丈の西側に広がる池泉回遊庭園で、嵐山と亀山を借景した庭園なのだが、混雑しているので入る気にはならない。  その代わり、かえでなどの樹木が多く植えられているので境内を歩き、紅葉の撮影をした (右写真)
ツアー客の人達も、携帯電話やデジカメで盛んに写していた。 ここにはしばらくいたが、
仁王門 日が沈むと困るので、常寂光寺に向う。  参道に入る入口に、大きな黄色と赤いもみじの木があり、紅葉の名所の期待を高める。  常寂光寺は、常寂光土を感じさせることから名付けられたという、日蓮宗の名刹である。  茅葺きの仁王門から延びる石段を覆うように、楓が植えられていて、左右には黄色とオレンジ色の樹木が迎えてくれた (右写真)
ここは、平安時代、藤原定家の山荘、時雨亭があったと伝わるところで、慶長元年(1596)、日蓮宗大本山本圀寺十六世の日禎が隠棲の地として当寺を開いた、とある。 
常寂光寺本殿 歌人でもあった日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは、角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により、堂塔伽藍が整備された。  石段を上ると、正面に伏見城の客殿を使って造営したという本殿があるが、それほど大きな建物ではなかった。 本殿前に、常夜燈があり、楓だろうと思うが、黄色にオレンジをまじった紅葉が広がっていた (右写真)
上ると、和様を基調にしつつ、禅寺様式を取り入れた檜皮葺きの多宝塔が現われた。  本殿までは多くの人が訪れるが、ここまで来ると少なくなった。 
ここからは、嵯峨野の地が一望できた。 かなり暗くなったので、今日はここまでとし、
石段を降りて、寺をあとにした。 
それにしても、紅葉の時期の嵐山付近は人が多く、写真撮影はままならないですね!!

平成18年(2006)11月



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