平成二十六年(2014)四月一日、娘と桜を見ようと桜の名所の千鳥ケ淵に行こうということになり、
東西線の九段下駅で降り、九段坂を上る。
昭和50年まで九段上のトヨタビルに勤務し、西船橋から通っていたので、懐かしさはひとしおである。
当時、右側に日本不動産銀行があり、友人が務めていた。 車も飛ぶように売れたバブルが終わるころであったが、
その後もしばらくは日本経済は順調であった。
その後、メインバンクは次から次にとつぶれて、不動産銀行も例外でなかった。
左側の千鳥ケ淵への入口は混雑していた (左下写真)
九段上にあるのは靖国神社 (中下写真)
東京の桜の開花を決めるのは靖国神社にある一本の桜である。
気象庁からは離れているので、もっと近くの皇居などの桜でよいと思うのだが、決まった経緯は知らない。
神社に入ると花見客でいっぱいだった (右下写真)
開花宣言をする桜はどれかなど確認するどころか、桜を愛でる雰囲気から遠い。
反対側から出て、トヨタ九段ビル前まで行く。
トヨタ自動車販売が建てたビルで、妻と出逢ったのもこのビルで懐かしさはあったが、
今は合併しトヨタ自動車となり、水道橋に合流していて、ここにはトヨタホームが入っていた。
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千鳥ヶ淵に行くと写真もとれないほど遊歩道は込んでいた (左下写真)
妻は独身時代に会社帰りに義姉と甥を千鳥ヶ淵に案内したが、幼稚園児だった甥が人が多くてうれしかったのか、
大声で歌謡曲を歌ったので、恥ずかしかったと言っていたのを思い出した。
東京生まれの妻は桜というと千鳥ヶ淵という位、ここの桜を自慢していた。
古希の記念に桜旅という写真集を出し、友人にも配ったが、それには千鳥ヶ淵の桜は入っていない。
永い間東京を留守にしていて、戻ってきてすぐに妻が亡くなり、この見事な桜を見せられないのは残念に思う。
眼下ではボートを漕ぐカップルが楽しそうである (中下写真)
友人は写真集の桜はよいので、外国人にあげたという。 日米親善になったとのこと。
東北にはシダレ桜の古木があり、見事だが、ソメイヨシノ桜では千鳥ヶ淵が日本一と小生も思った。
千鳥ヶ淵の桜は他所で見る桜と違い、豪華絢爛とした勢いがあるのである (右下写真)
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平成二十七年(2015)四月四日、昨年に引き続き、娘と東京に桜を見に出かけた。 今年は隅田川の桜である。
地下鉄浅草駅で下車し、隅田川西岸を北上すると浅草水上バス乗り場があり、隅田川を渡る吾妻橋が架かっている。
橋の上から下を見るとはしけが行き来している(左下写真)
橋を渡ると本所吾妻橋で、左折すると墨田区役所があり、その前の広場に「勝海舟」の銅像が建っていて、
頭上には東武鉄道、下には北十間川が流れていて、橋の右手に東京スカイツリーが見える。
橋を渡ると向島一丁目で、隅田公園があり、約六百四十本の桜が植えられている (中下写真)
江戸時代、不忍池は桜で有名だったが、
江戸城の鬼門にあたることから建立された上野寛永寺は徳川家の菩提寺なため、庶民は立入ることができなかった。
八代将軍吉宗が庶民にも桜を楽しんでもらおうと隅田川川岸に桜を植えたのが公園の始まりと伝えられる。
大正十二年(1923)の関東大震災後、東京市長・後藤新平の主導により計画整備され、
ソメイヨシノ、オオシマザクラ、サトザクラなど、種々の桜が植えられている公園で、
日本さくら名勝百選に選ばれていている。
水戸街道が公園を横断しているが、道路の下をくぐり、反対側に出ると 「 明治天皇行幸所 水戸徳川邸旧址 」の石碑と
明治天皇御製碑が建っている (右下写真)
案内板には 「 江戸時代、花見の名所の地位を確定していたのが墨堤である。
天皇家は平安時代より宮中の花宴を代々開催していたが、明治維新の混乱期や東京遷都で中断していた。
明治八年(1875)花宴の再開において、明治天皇は会場にこの墨堤の水戸徳川家小梅邸を選び、実施した。
明治天皇が行幸されたのは明治八年(1875)四月四日であったが、その際詠まれた歌が明治天皇御製碑である。 」 とある。
水戸徳川家は二代藩主光圀や幕末の九代藩主斉昭らが尊王の志が高い家柄で、
明治天皇は拝謁した当主の昭武(徳川慶喜の弟)らに先代の志を継ぐように勅語された。
明治天皇御製碑には
「 花かぐはし さくらもあれど このやどの 代々のこころを われはとひけり 」 と刻まれているが、
天皇の歌は満開に咲くさくらだけでなく、代々水戸家に伝わる尊王の心に感銘を受けたようすを歌っている。
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この先は桜の木がおおく、その下は花見客でごったかえしていて、花より団子という風情である (左下写真)
水戸街道に架かる橋は言問橋であるが、川岸の上の道路を北に向うと桜橋に出る。
更に進むと下に 「 牛頭山弘福禅寺 」 の石標が見えた (中下写真)
隣は長命寺、道の左手に墨堤常夜燈があり、道の右側に「三浦乾也旧居、窯跡」の案内板がある。
その隣は「長命寺桜もち山本や」で、
店の案内によると、 「 桜もちの由来は、当店の創業者山本新六が享保二年(1717)、
大岡越前守忠相が町奉行になった年に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、
向島の名跡・長命寺の門前にて売り始めた。
その頃より桜の名所であった隅田堤(墨堤通り)は花見時には多くの人々が集い、桜もちが大いに喜ばれた。
これが江戸に於ける桜もちの始まりでございます。 」 とあるので、創業三百年にならんとする老舗である (右下写真)
長命寺桜もちは小麦粉などの生地を焼いた皮で、あんこを巻いたものを桜の葉でくるんだもので、
関西の桜もちとは別物である。
店前に「正岡子規仮寓の地」の案内板があり、「 向じま 花さくころに 来る人の ひまなく物を 思ひける哉 」
近代日本を代表する俳人正岡子規は向島周辺の景色を好み、こうした歌を数多く遺している。
隅田川と墨堤の自然がよほど気にいったのか、大学予備門の学生だった子規は長命寺桜もち山本やの
二階を三ヶ月ほど借り、自ら月香楼と名付けて滞在し、
「 花の香を 若葉にこめて かぐわしき桜もち 家つとにせよ 」 という句などを詠んでいるとある。
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その先の三叉路を右に下るのが墨堤通りである。
「墨堤植桜之碑と桜勧進」という案内板の中に江戸名所図会の隅田川の桜の絵があった (左下写真)
江戸時代桜の花見の名所として地位を確立した墨堤の桜も最初は水神社(墨田川神社)の付近だけだった。
1800年代から地元の村の有志らによって桜が植えられて、南に延伸していく。
桜は長命寺、三囲神社と除々に延びて、枕橋まで達したのは1880年ごろといわれるが、
この間、村の有志らの植桜の他、有志が発起人になった桜勧進と呼ばれる寄付が行われた。
このような努力が隅田川の桜を江戸名所に育てたのである。
案内板の結びに 「 堤の桜が地元の人々に愛されていたことはこの植桜の碑に刻まれている。 」 とあった。
道の右手は小公園になっていて、カワヅサクラ(河津桜)やジュウガツサクラ(十月桜)が植えられている。
「 十月桜は冬から少しずつ咲き、四月上旬に最も多くさくので、この名が付けられた。 」 と説明にあった (中下写真)
野口雨情の都鳥の詩碑には「 都鳥さへ夜長のころは水に歌書く夢を見る 」 と刻まれているが、
昭和八年、門下生の詩謡集の序詞執筆のため、当地に来遊した折り、唱われたものである。
公園の入口には道標が建っている (右下写真)
この道は多聞寺、白髭神社、向島百花園に通じる。 前述の隅田川神社は白髭神社の先で、水神前バス停の奥にある。
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左の道を通り、隅田公園に戻ることにする。
長命寺の前を通り、弘福寺の門前にくると、「淡島寒月旧居跡」の案内板があり、
「 父淡島椿岳は江戸時代大流行した軽焼せんべいの名店「淡島屋」を経営する実業家で、大地主である。
明治十七年(1884)向島の弘福寺境内に隠居所を建てて住んだ。
息子寒月は西鶴再評価のきっかけを作った人物だが、
明治二十六年(1893)頃父が使っていた隠居所を梵雲庵と名付けて隠居し、悠々自適な生活を送った。 」 とある。
三囲神社前を通り、隅田公園に戻ると、ゲンペイモモが咲いていた (左下写真)
案内板には 「 ゲンペイモモはハナモモの仲間で、一本の木から白と赤の花が咲くことから、
源氏の白旗と平家の紅旗を想像して、源平桃と呼ばれる。
この木は白花、紅花、桃色を咲く分けるので、すみだの五色桃と呼んでいる。 」 とある。
水戸街道が横断している公園の一角に牛島神社があった (中下写真)
平安時代の始めの貞観年間(859-879)、天台宗中興の祖といわれる慈覚大師が、
一草庵で須佐之男命の権現である老翁に会い、
「 師 わがために一宇の社を建立せよ!! 若し国土に騒乱あらば、首に牛頭を戴き、悪魔降伏の形相を現わし、
天下安全の守護たらん!! 」 との託宣を受けて建立し、牛御前社と呼んたのが始まりと伝わる神社である。
江戸時代には本所総鎮守の社として知られていて、
「江戸名所図会では 「 牛島の出崎に位置するところから、牛島の御崎と称えたのを御前と転称したものであろう。 」
と説明されている。
最初は長命寺もち山本や近くの墨堤常夜灯の東にあったが、昭和七年、隅田公園開設の時に現在地に転座したという。
隅田川の川岸に出て、対岸の浅草方面を見ると、堤に桜並木が続き、千本桜と呼ばれる風情を感じることができた。
その風景を楽しもうと多くの屋台船が押し寄せている (右下写真)
言問橋を渡り、対岸の桜を見ながら、浅草まで歩くと、隅田川の桜は終わる。
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