平成三十年(2018)三月二十九日、今年も東京の桜の名所を訪れた。
最初に訪れたのは日本のさくら百選にえらばれている井の頭公園である。
JR中央線吉祥寺駅で降り、公園口(南口)から南に五百メートル程行くと、井の頭公園に到着する。
途中に若者向けの商店や食べ物やがあり、多くの客がいたが、花だけを楽しむことにして、寄らなかった。
井の頭公園は正式名は井の頭恩賜公園で、武蔵野市の南東から三鷹市の北東にかけて広がる公園だが、
桜が咲いているのは井の頭池の周辺である。
井の頭池は北西から南東方向に延びる細長い形の池で、北西端は二つに分かれ、
南東端からは井の頭池を源とする神田川が流出している。
あまり大きな池でなく、また、ボートが有名なため、水面にはボートが多く浮かんでいた。
桜見物はそれらのボートと公園で弁当を食べる人々を眺めながらの花見だった。
江戸時代、徳川家康から家光の時代は将軍が鷹狩に武蔵野一帯で興じた場所で、
三鷹の地名はそれによる。
井の頭池西端の島にある井の頭弁財は歴史は古く、
平安時代中期に六孫王経基が最澄(伝教大師)作の弁財天女像を安置するため建てたお堂を起源とするが、
鎌倉時代末期の元弘の乱の兵火で弁財天は焼失。
数百年の間放置された後、江戸幕府三代将軍徳川家光により再建されたものという。
また、ここを源泉とする神田用水により江戸発展の原動力になったことも有名である。
井の頭池スワンボート | 花筏になり始め | 神田川の源流 |
JR中央線吉祥寺駅から再び電車に乗り、国立駅で降りると、ホームから見えるのが下記の風景である。
大學通りの桜並木 |
片側二車線に自転車道の両側に国立駅から一橋大学に向かって約二百本の桜並木が続く。
駅から南へ真っ直ぐに延びる通りを「大学通り」というのは一橋大学のキャンパスがあることから、
名付けられたのだろう。
東京都国立市の中心部、JR中央線国立大きな。
大学通りの車道と歩道を隔てる緑地帯に桜やイチョウが植えられ、四季折々に美しい表情を見せてくれる。
大学通りの桜はソメイヨシノだけでなく、他の品種の桜も少なくない。
鮮やかなピンク色のベニシダレや真っ白の花を咲かせるオオシマザクラの姿もあり、
単調になりがちな桜並木の景観にアクセントを添えている。
満開の桜の下、春の訪れを感じながらの散策は楽しい。
一橋大学に入学した同級生が構内を案内してくれたのは半世紀も前のことだが、
久し振りに訪れると新入生をクラブに勧誘するため、男女学生が校門付近にたもろしていたが、
都心の学生より田舎かかっていて、微笑ましかった。 あまりすれていなく、純朴すなのがよい。
構内にもしだれ桜などが咲いていた。
駅近くにはさまざまな店舗が建ち並び、お洒落な雑貨を扱う店などもあって、そうした店を覗きつつ歩くのが楽しい。
なお、大学通りと谷保天満宮は「新東京百景」にも選定されている。
大學通りの桜 | オオシマザクラ | 大学構内のベニシダレ |
JR中央線吉祥寺駅から途中で快速に乗り換え、四谷で各駅に乗り換え、飯田橋で降りた。
小石川後楽園に行こうと思ったからである。
小石川後楽園は、徳川御三家の一つ、水戸家の上屋敷に、初代藩主、頼房が作庭家徳大寺左兵衛に命じて築いた
庭園で、二代藩主、水戸光圀(水戸黄門)が改修し、明の遺臣、朱舜水による後楽園を採用し、名付けられた。
国の特別史跡、特別名勝に指定されている庭園である。
入口に入ると人が群がっていて、淡いピンク色をしたしだれ桜が咲いていた。
樹齢は六十年位で、樹齢百年を超えた桜が枯死した後、現在のものが植えられたという。
出来るだけ人をいれないような方向から撮った。
その左手奥に数本のしだれ桜があったが、若そうだった。
小石川後楽園は回遊式泉水庭園で、
その先には池が広がっていて、すばらしい景色だが、周囲のビルがどうしても目に入ってしまう。
浜離宮でも感じたが、残念なことである。
池の畔にしだれ桜が咲いていて、満開を過ぎてはなびらが水面に浮かんでいた。
さらに進んでいくと、藤棚があるところにもしだれ桜が咲いていた。
この後、庭園内を一周したが、紅葉時も美しいだろうと思った。
入口に近い処のしだれ桜 | 池の畔のしだれ桜 | 藤棚のしだれ桜 |
今年は桜が咲く時期が一週間早かったので、心の準備が出来ないまま、あわてて見に行ったので、
感動が少なかったような気がした。