okanの白石城(しろいしじょう)訪問記
白石城は別名、益岡城あるいは枡岡城ともいわれた宮城県白石市の中心部にあった平山城である。
大河ドラマ「直江兼続」が放映されているので、彼の居城「白石城」へ訪れた。 娘と二人旅で、
亭主のmaxは自宅でお留守番である。
「 東北新幹線で 福島駅乗換えで着いた白石蔵王は、駅前は唯広いだけ、何もない。蔵王の中継点としての存在駅か。
ここは、政宗の懐刀、片倉小十郎の城下町である。バスもないので、レンタカーを借りる。
家を出る時に、何処を廻るか、何を見るかはあらかじめ決めてきている。プリントアウトしてきた
地図を元に、出発。先ずは、片倉家菩提寺の「傑山寺」へ。
小十郎の墓は、敵にあばかれないように、墓石を作らず一本の杉を墓標にしたそうだ。
寺の裏の緩やかなのぼり道を15分も歩くと、大きな杉の木の前に出る。
辺りは木々に囲まれて薄暗い。なんともいえぬ風情があった。
次は「清林寺」。ここは、かの有名な真田幸村ゆかりの寺である。真田家遺臣が建立したとされ、寺紋は「六文銭連」である。
ここで、地元のオモロイおっさんにあった。寺の壇家さんで、息子が、名古屋の大高に居ると言う。現在不倫中のおっさんは、彼女からのメールを盛んに見せたがる。
親切な方で、これからお城へ行くという私たちに、どこへ車を置いたら一番便利かと地図まで書いてくれる。教えれれたとおり、城近くのスーパーへ駐車。
おかげで、城まで、緩やかなのぼりを、史跡を見ながらゆっくりと歩いていけた。不倫おッちゃん、ありがとう…でした。
白石城は、木造建築による完全復元天守として、白河小峰城、掛川城に続いて、平成7年に復元された城である。忠実に復元され、学術的に意味を持つお城となっていると、かなりの御自慢である。
昔と違うのは、縄梯子が階段になっていること、防災上スプリンクラーなどが設置されていることだけ…と係りの方は力説していたそうな。Okanは、いつもながら近くの「歴史探訪ミュージアム」というきれいで、涼しい所で、ビデオを見ながら待っていた。
ここにはシアターがあり、白石の歴史、片倉小十郎について、また戦国時代の甲冑についての解説などの映画を見せてくれる。それも3Dである。説明役には、今をときめく渡辺謙。出演俳優も宍戸錠を始め結構な顔ぶれである。
が、なんとこれも何年か前にNHKの大河「伊達政宗」の時に作ったものだと言う。恐るべしNHK。20分程度ではあるが、とてもよく出来ていて、面白かった。
お土産売り場には「バサラ」のイラストそのままの「小十郎グッズ」コーナーがあったのには大笑いした。そういっては何だが、余り可愛いとはいえないこけしの「小十郎君」もあった。何でも、イラストが描かれた、小十郎バス、小十郎タクシーなるものもあるらしい。白石市、少しやりすぎ…。でも、この国のトップも好きらしいからね。
今日のお昼は「白石温麺」。Maxが「まだ食べたことがないので」お土産に買ってきてと言ったものだ。モノの本によると「とりあえず温麺なら駅にもある。うまい麺なら市内で…」とあったのでガイドマップに載っていた店を探して入る。昼時ゆえ、結構混んでいる。Okanは3種のたれで食べるものを、娘は辛いラーメン風のものを頼む。そうめんと違うのは油を使っていないからおなかに優しいそうである。温麺がどうして出来たかは、長くなるので書かない。気になる方は、ネットで検索してください。詳しく書いてありまする!美味しかったです。Maxへのお土産に何種類かを買いました。戻ってから作りましたが、そうめん風に戴くか、ラーメンのようにするのが美味しいようです。あくまで個人的好みですが、あまりたれに凝ったのは美味しくなかったです。
お腹がいっぱいになった次は、「武家屋敷」へ。
お城の北、三の丸外堀に当たる沢川端に面した後小路に佇んでいた。豊かな緑に覆われて、こじんまりとした屋敷である。駐車場に係りの人はいるが、「どうぞ勝手に見てください」と言う風情。私達だけであったので、ゆっくりと拝観できたのはよかった…。
見終わって出てきたら、受付のおッちゃんが「何処から来たの?」と話しかけてきた。昨今若い女性の訪問者が増えたと喜んでいる。「先程ミュージアムから、何人か衣装を着た人が、どこかへ走っていったけど、なにかあるの?」と訊ねた。「あぁ、予約のあったバスがつくと時代衣装で迎えに行くんだ」と言う。「ネエさん、ここに甲冑があるから着てみるかね?」と奥から持ってきた。
バァさんには着せる気は無いらしい。
甲冑、兜おまけに刀まで揃っている。お迎えおじさんたちの衣装だと言う。それぞれの緒の結びが結構難しく、そういうことに関心のあるネエさんは、面白がって着せてもらった。
35度もある中、おッちゃんの親切?な気持ちに応えてさらに暑い思いをした、ネエさん、ご苦労様!でした。
そろそろ白石探訪もクライマックス。市内はずれの片倉家の廟所へ向かう。
車を停めて、狭い山道を登る。先に歩いていたネエさんが「急だから車で待ってた方がいい」と振り返って言う。こういう時のOkanは実に素直、すぐユーターン!!
御廟所は、
花崗岩の玉垣に囲まれ、10体の石像と一基の墓碑が佇んでいたそうな。東北の陪臣の墓所としては他に見られないと言われているそうである。Okanはパスして先に降りていたので見ていない。
廟所よりさらに先に、政宗の乳母であった小十郎の姉、喜多の墓があると言う。駐車できる所もなさそうなので、私は車で待つことにする。興味の尽きない者がしっかり見るべきである。程なく上から声がする。「もう少し走ると、停められる所がありそう。そっちに廻って…降りていくから…」。言われた方に車を走らせる。汗びっしょり、でも、満足そうな顔で山道を下ってきた。政宗の正妻「愛姫」の父親「田村清顕公」の墓所もあったそうである。「見るべきもの、見たかったものはすべて見られた」そうである。さぁ、帰ろう。
あぁ、ちょっと待って、もう一箇所。と言うことで、戻り道、「当信寺」による。ここは、真田幸村の娘、阿梅と息子大八が祀られている。阿梅は二代目小十郎の後添いであり、
それを慕って関が原の後幸村の幼い子息が東北の批の地に来たという。
午前中に寄った「清林寺」はそういう謂れがあって建てられた寺であったのだ。 」
白石城がある場所:宮城県白石市益岡町1−16
JR東北新幹線白石蔵王駅から車で5分、東北本線白石駅から徒歩10分
続日本100名城の白石城のスタンプは白石城天守(4月〜10月9時〜17時)にて
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