令和六年(2024)の初詣に、西新井大師に出かけた。
東武鉄道の西新井駅に着いたのは、14時40分過ぎ。
西新井大師へ行くため、大師線へ乗り換える。
「 東武大師線は、西新井大師参詣者の輸送を目的に、 昭和六年(1931)に開業。 わずか1kmの営業距離で、途中に駅もなく、踏切もない。 」
西新井駅の乗り換え通路には係り員はおらず、改札機が設置されていて、
「 大師前駅には、自動改札機、自動券売機、自動清算機が設置されていないため、
あらかじめ、帰りのきっぷはここで購入する。 」 旨の表示があり、
帰り用の自動券売機が置かれていた。
プラットホームには「大師線のりば」の標示板と、
10分毎に発車する時刻表が吊り提げられていた。
すぐに一両の電車が来たので、乗り込むとしばらく待たされて発車した。
すぐに大師前駅に到着。 その間の時間はわずか2分である。
これまで使用した電車で最小の時間であった。
到着したホームに、「だいしまえ(大師前)」の標示ノ下に、時刻表が記された
ボードがあり、出口に向った正面右手に出張サービスの売店があり、
呼び声が聞こえた。
天井には、初詣の鬼の絵のポスターが掲示されていた。
大師線西新井駅 | 大師前駅ホーム | 初詣の鬼の絵 |
ホームを降り、無人の駅構内から外に出ると、右手に東門があるが、
初詣では混乱防止のため、入れない。 左手の商店街を回って行くルートになっている。
「謹賀新年」の札を貼ったミニだるまを並べた店があった。
その先の右側に「表参道」の表示がある鳥居状のポールがある。
本来、新井薬師参拝の表参道であるが、初詣期間は出口専用の標示があり、
「ただいま出口専用 ← 西門へお廻り下さい 」 の プレートが、
右の街灯の下にあった。
指示に従い、西門へ行く。
「 西新井大師は通称で、正式名は五智山遍照院総持寺である。
真言宗豊山派の寺院で、古くから 「関東の高野山」 とも呼ばれる。
川崎大師と共に、関東の三大師の一つに数えられ、
毎年の正月には初詣客で賑わう。 」
商売繁昌 だるま | 表参道入口 | 総持寺 西口 |
境内は出店で埋められていて、寺の全貌は見えなくなっていた。
「 西新井大師は、弘法大師が、関東巡礼の際、ここを通った時、 本尊である観音菩薩の霊託を聞き、 本尊の十一面観音像を彫り、天長三年(826)に、 寺院を建立したことに始まる、とされる。 」
西門へ入った右手に山門が見えたので、山門へ行ってみた。
「 山門は、江戸後期の建立で、足立区の指定文化財である。
しっかりとした建物で、貫禄がある。
両側に金剛力士像(仁王像)を祀っていた。 」
山門を入った右側には、塩地蔵尊が祀られている。
「 お礼に持ち込まれた塩で、参拝者は治したい場所に、塩を塗り、拝むと、
直るという信仰がある。
特に、いぼ取りに霊験あり、と伝えられている。 」
山門 | 金剛力士像(仁王像) | 塩地蔵尊 |
その先に水屋があり、参拝前の手を清める。
その先の東屋に、水洗い地蔵尊が祀られていた。
説明板「延命水洗い地蔵尊」
「 地蔵菩薩は釈尊の滅後、仏がいなくなったこの世界の衆生を、
弥勒佛が出現するまでの間、教化する菩薩であります。
この延命水洗い地蔵尊を信仰すると、十種の徳が授かり、
特に寿命長遠の功徳があります。
弘法大師様御降誕1200年の記念として建立いたしました。
西新井大師 総持寺 」
柄杓で水を汲み、お地蔵さまにかけて、願いを祈るのだが、
参拝者の混乱を避けるためだと思うが、当日は水も柄杓もなく、
参拝者もその前を通り過ぎて行っていた。
その前方にあるのが本堂である。
「 江戸中期に建立された本堂は、昭和四十一年(1966)の火災により、焼失したが、 本尊は難を免れた。 現在の建物は昭和四十六年(1671)に再建されたものである。 堂内には、十一面観音菩薩像(秘仏)、空海自刻とされる弘法大師像(秘仏)などが 祀られている。 」
人が押し寄せるので、すぐに拝んで退散した。
延命水洗い地蔵尊 | 総持寺 本堂 | 本堂で参拝 |
出店の上に顔をだしているのは、六角観音堂である。
本堂の西へ行くと、その先にあるのが、加持の井戸。
弘法大師によってもたらされたとする井戸で、
本堂の西側に所在することが、
当地の地名である西新井の名の由来とされている。
その先にある六角観音堂は、
通称、ぼたん観音、聖観世音菩薩像を祀るお堂である。
この後、本堂の前を横切り、書院前で右折して、東門を出てお参りを済ましたが、 途中には出店で通れないくらい多く店があり、 参拝者も参拝よりもこっちが目的ではと思える程、賑わっていた。
六角観音堂 | 聖観世音菩薩像を祀る | 出店が多い |