会津賛歌 会津若松市 

会津若松市は会津地方の中心都市で、葦名氏による黒川城を起源とする。 
天正17年に蒲生氏郷により現在地に城と城下町が造られ、 若松に名を変えた。
江戸幕府二代将軍・徳川秀中の子・保科正之が入封し、会津若松藩が誕生、
幕末の戊辰戦争では会津若松城が戦場となり、白虎隊の悲劇が起きた。

貴方は かうんたぁ。目のゲストです!!



会津若松城の天守は、昭和四十年(1965)に再建されたものである。
明治に建物は壊されたが、本丸などの敷地と石垣・堀は残っている。
茶壺櫓があったところに、茶室・鱗閣があるが、これは千利休の子・
少庵が蒲生氏郷のために建てたと伝えられるもので、平成二年に移築・
復元されたものである。

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会津若松城天守

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会津若松城の石垣

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茶室・鱗閣



七日町通りにある阿弥陀寺には会津若松城の御三階櫓が 移築されて残っています。 
会津東軍墓地には戊辰戦争で亡くなった会津軍千三百人の遺骸が埋葬されています。
会津家老屋敷は1700石取りの家老職であった西郷家である。
敷地は2400坪、建坪280坪、38の部屋があった大きな屋敷である。


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旧会津若松城御三階櫓

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会津東軍墓地

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西郷家屋敷



「まちの駅 飯盛山」の駐車場に車を停め、飯盛山に向う。 
飯盛山へ上る石段は183段であるが、スロープコンベヤを利用すると、
頂上近くまで歩かないいける。  コンベヤは石段155段にあるそばや前まで。

残りの28段は急な石段であるが、左側に「会津藩殉難烈婦」の石碑があった。 
戊辰戦争(1868年)で自刃・戦死した会津藩の婦女子230余名の霊を弔ったもの。

石段を上ると、左手奥に狛犬、常夜燈、その先に白虎隊士の墓があった。 
正面の墓は慶応4年(1868年)8月28日(新暦10月8日)、ここ飯盛山で自刃した
士中白虎二番隊19名の墓である。 隊士の遺骸は、西軍(政府軍)によって、
手を付けることを禁じられていたが、村人が密かに近くの妙国寺に運び、
仮埋葬された。 それを後にこの地に改葬したのである。 

墓地の左下にある六角三階の建物は国の指定重要文化財であるさざえ堂である。
正式名称は円通三そう堂で、かってここには正宗寺という寺があった。
堂内は螺旋階段になっていて、堂内に祀られている西国三十三観音像を
お参りできるようになっている。

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会津藩殉難烈婦碑

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白虎隊士の墓

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さざえ堂(円通三そう堂)