現在の温泉法は戦後すぐの昭和23年(1548)に制定されたものだが、一度利用許可を取り、源泉の分析を行うと、その後再分析を行う法的な義務がない。
従って、湯量が減少し、水道水に切り替わっても分からないし、温泉成分が変ったため入浴剤を投入して調整しても、温泉法では取り締まることはできないのである。
また、温泉法は温泉とは何かの規定があり、その条件に合えば温泉に認定されることになるが、温泉でないところが温泉と表示しても、温泉法には取り締まる規定も罰則もない。
昭和40年代には温泉は掛け流しと相場がきまっていたが、その後、技術が進歩し、お湯を循環して再利用できる時代になり、その結果、温泉旅館ではこれを利用して、大きな浴槽や多種に亘る湯船を作り、顧客獲得競争をしてきたのである。
また、温泉資源が有限なのにかかわらず、無限のようにPRしてきた観光業者の罪も重いといわざるを得ない。
那須の三斗小屋温泉に行くと分かるように湯船は小さく、流れ出る湯量は極めて少ない。 掛け流しでは、一部の地区を除けば、そのようにしないとできないのである。
大きな湯船にとうとうとお湯が注ぎこめれている温泉は循環式や加水が行われているといって間違いない。
環境庁はレジネエラ菌による死亡により循環式の欠点が明らかにされた時も、これについても保健所任せで、動こうとしなかった。
今回はあれだけ騒がれたので、しぶしぶながら、やっと重い腰をあげつつあるという段階であろう。
新聞報道では、年内は現状調査、来年から具体的な検討に入るとある。 このスピードでは法案成立は5年後ということなるのではと懸念されるがどうだろうか。
何故環境庁はこのように及び腰なのだろうか?
背景には、ユーザーの「温泉とは掛け流しの湯』という思い込みに対し、現在の温泉施設で掛け流しの湯のところは1割もないというギャップにあるのではないだろうか。
黒川温泉が脚光を浴びたのも露天風呂と潤沢な掛け流しの湯にあったのは間違いないが、そうした湯は、お湯に付加価値が付いて、一般の人には利用できない高いものになりつつある。
伊香保温泉の騒動も一部の旅館が古くからの源泉を押さえていて、他の旅館には使用させないことから、生じたものである。
法律を改正すれば、潤沢な温泉地と名ばかりの源泉である温泉地が色分けされ、全国温泉旅館の淘汰を促しかねない。
できることならば、このまま終わらせたいという意識が環境庁まだあるのではないだろうか?
しかし、こうした事実を公表し、少ない温泉資源をどのように利用すべきか?を温泉業者とユーザーが真剣に議論しあい、結論を出す時期にきたのではないだろうか?
( 2004年9月16日 )