中山道を歩いている時、偶然、照手姫にまつわる伝説があることを知った。
その後、東海道の藤沢宿などに同じ話が残っているのを確認し、その中に出てくる癒しの湯に入りたいと思った。
もう三年以上になるのかも知れない。 中山道を踏破しようと、美濃路を歩いているとき、青墓というところを知った。 そこには、照手姫の墓
と伝えられていているものがあり、 次のような話が残っていたのである (右写真-照手姫の墓)
『 昔、武蔵相模の郡代の娘で、照手姫という絶世の美女がいた。
この娘と相思相愛の小栗判官正清は郡代の家来に毒酒を飲まされ毒殺されてしまった。
照手姫は悲嘆のすえに家をでて、放浪の旅の末、
青墓の大炊長者のところまでに売られてきた。
長者はその美貌で客をとらせようとしたが、照手姫はどうしても従わない。
怒った長者は一度に百頭の馬に餌をやれとか、篭で水をくめ、など無理な仕事を
言いつけた。
毒酒で倒れた判官だったが、霊泉につかり生き返り、照手姫を探し出して妻に迎えた。 』
江戸時代に発刊された、木曽路名所図絵には、以下のように書かれている。
「 青墓にむかし照手姫という遊女あり。
この墓あるとぞ。 照手姫は東海道藤沢にも出せり。 その頃両人ありし候や。 詳(つまびらか)ならず。 」
上記に、「 照手姫は東海道の藤沢宿にも出せり。 」 と記されているので、気になっていた。
今年に入り、東海道を歩き、神奈川県の藤沢宿にある遊行寺を訪れた。
ここには、照手姫の創建と伝えられる寺があり、小栗判官の墓があった (右写真)
遊行寺に残る話では、 『 敵にあざむかれて毒殺された小栗判官は閻魔大王のはからいで蘇生し、遊行寺の上人にあずけられる。 蘇生はしたものの、
小栗は餓鬼阿弥の変りはてた姿になっていた。
胸には、この者を熊野本宮のお湯に入れたら治るという閻魔大王の書付があった。
遊行上人は、小栗を土車の乗せて曳き出させ、その胸札に
「 この者をひと曳き曳いたは千僧供養、ひた曳き曳いたは万僧供養 」 と書き添えた。
土車をひと曳き曳くたびに千人の僧を供養した功徳となるという意味なので、人々は代わる代わる車を
曳き、土車は美濃国の青墓に至った。 小栗の妻の照手姫も苦難にあい、流浪のすえ、青墓の長者の
屋敷で働いていた。 土車にうづくまる異形のものを夫と知らず、これも死んだ夫の供養になろうかと、
車を曳いて、熊野にたどり着く。 湯を浴びた小栗は、元通りの姿になって、敵を討ち、所領をとり戻し、
照手姫と喜びの再開を遂げた。 』 という話で、青墓に残る話とほぼ同じだった。
この話に登場する熊野本宮の湯で、小栗判官を蘇生させた湯とはなんだろう??
今でもあるのだろうか?、と気になっていたが、湯の峰温泉のつぼ湯らしいと思えた。
家族から熊野三山に行きたいという希望が出たのを期に、つぼ湯に入る旅に出た。
熊野本宮からひと山越えたところに、湯の峰温泉があった。
待望のつぼ湯は二人入ると一杯になる程小さかったが、硫黄を含んだお湯が下から
こんこんと湧き出ていて、気持ちよかった (右写真)
やっと巡りあえた照手姫ゆかりの湯につかり、中山道と東海道を歩いた旅を思い出していた。
(平成19年10月15日)