大阪城周遊紀
「大坂に行き、大阪城を見よう…」ということになった。
出かけるにあたり、PCで各地を検索してみた所、
「大阪町歩き」なる大阪市のサイトを見つけた。
「大阪…」はモデルコースだけでなく音声、しかも講談師の語りつきという懲りようである。
電車の中で聞けるように、PCから携帯に音声を移し、(これはすべて「あっ晴れ」がやった。
Okanは悔しいけど、なんだかさっぱり解からない)後はプリントして持って行くことにした。
大阪!! 先に書いた「大阪町歩き」から、「文明開化コース」のうち、「適塾」に行く。
ここは、ある番組で紹介されていたのを見て、行ってみたいと思っていた所である。
緒方洪庵が天保9年に設立した蘭学塾である。福沢諭吉、大村益次郎、
橋本佐内ほか幕末維新に活躍した俊英たちを多数輩出した塾である。先輩が後輩を教えると言う形式であり、
また今と違ってコピー機などなくすべて筆写しなければならず、皆寝る間も惜しんだと言う。
狭い所に押し合いへし合い…と聞いていたが、塾の建物はかなり広いものであった。
壁に掲げられてあった文言の一部に「人のために生活をして、己のために生活せざるを医業の本懐とす。
己を捨てて、人を救わんことを希うべし。病者にたいしては、唯病を見るべし。
貴賎貧富を顧みる事なかれ」とあった。点滴を作りおきしたり、保険の点数を水増ししたり…考えさせられる言葉である。
「文明〜」コースも魅力的なのであるが、今回は大阪城がメインである。
「幸村と大阪の陣」コースに沿って歩くことにした。天王寺から大阪城となっているが、
それだとメインに充分時間が取れないこともある…ということで大阪城から天王寺に向かうことにした。
地下鉄一日乗車券を購入したので、地下鉄を乗り継いで谷町4丁目まで。いよいよ大阪城である。
大手門に向かって歩いていると、超モダンなビルが聳え立っている。なんと、大阪府警である。
不祥事があろうとも、借金があろうとも、このすばらしい建物。向かいには、これまた歴史博物館が聳え立っている。
すぐそばには、風情のある建物、旧歴史博物館がある。
耐震ゆえか、手狭ゆえかは知らないが、ああ、大阪、お前も箱物行政か。
まず、二の丸庭園。警備員が立っていて大きく腕でバツをしている。「なにか〜」と訪ねたら、
大阪夏祭りの準備のため今日から一般は入れないとのこと。
何もかもぶち壊された大阪城にあって唯一残された櫓を見ることが出来ない。「あっ晴れ」は大むくれである。
それでも、天守閣から望遠で見ていた。
エレベーターで昇り、順次各階を見ながら降りてくる形式である。2〜3階だけが撮影禁止で、後は「どうぞ」の由。
大阪の陣の絵屏風をはじめ様々な展示がある。なかでも、CGによる大阪城にまつわる一代記は見ごたえあった。
1シーンが終わると次のブースへ進み、そこが終わると次へという具合に順番に進んでいくうちに歴史が入ってくるのである。
全部見終わるのに30分はかかろうか、時間はかかるけれどなかなかのものである。
各階をゆっくり見て回る「あっ晴れ」。Okanは適当に見て、ベンチで休みながら来るのを待つと言う、いつもどおりの見学風景。
出口近くに「陣羽織試着体験」なるコーナーがあった。各武将の「兜」と「陣羽織」が用意されている。
一回300円である。
見ていると、外国人にかなりの人気である。陣羽織を着て、兜をかぶり、刀を抜いて殺陣の真似をして大喜びである。
着物、髪飾りもあり「お姫様」にもなれるのだが、なぜか皆、女性も「武将」を選んでいる。混んでいるときは、
結構待たされるとか、受付のおじさんは、忙しさにも「嬉しいですよ〜」とにこやかであった。
天守閣をたっぷり時間をかけて見終わったあと、外回りである。
○○跡やら××跡が沢山残されている。城内地図を手に広い城内、ここかしこと歩かせられる。
信長や秀吉と戦った本願寺も初めはここにあったという。
本願寺跡、蓮如上人の衣かけ松の跡、秀頼・淀君自刃の地跡なども整備されて、きちんと説明プレートが付いているから、感心した。
と言うよりもこの徹底振りに驚いた次第。さすが天下の大阪城!!
それらをくまなく見ようと言う「あっ晴れ」にも脱帽、降参のOkanでありました。
なんと大阪城にいた時間、6時間です!!!
場外すぐに、勿論ありました。「豊国神社」。
「見てくる〜」というのを待つ間、ちょっと前に通った兄ちゃんが「みかん、超うまっ!」と言っていたカキ氷、美味しかった。
疲れた身体に染み渡ったよ〜んでありました。
これからが「町歩き」コースになる。36度という暑さの中、天王寺までの旅が始まるのである。
20分歩いただろうか、探しながらようやくたどり着いたは「越中井」。
ご存知、細川ガラシャが、三成の人質となるのを拒んで自刃した地である。
小さなお堂に、十字架はなく卍が彫られているのが悲しい。
傍らに「散りぬべき、時知りてこそ世の中の、花も花なれ、人も人なれ」の有名な時世の句が刻まれてあった。
近くの聖マリア聖堂には婦人像がある。
コンビニでかち割り氷を購入。何年かまえ京都で同じようなことをしたのを思い出す。
どうも関西はいつも特別暑い日に来ると言うめぐり合わせか。さらに歩くこと20分余。玉造の「三光神社」に着く。
ここには、幸村が大阪城から抜け出るための隠し抜け穴が残されている。それは生い茂る草に隠されて鉄格子がはまっていた。
傍らには立派な幸村像が建っていた。誰が備えたか「伊藤園のお茶」のペットボトルが置かれてあった。
あまりに暑いので地下鉄で移動。玉造駅から夕陽丘駅まで。はるか昔は、この駅の傍は海が迫っていたそうだ。
海に落ちていく夕陽があまりに美しく、極楽浄土もかくありなんと人々は思ったそうな。
そこから大阪夏の陣で最期を遂げた、「幸村最後の地」であると言う安井神社を探して歩く。
天神坂と言うとてつもなく長く急な坂道を下りきったところに裏口があった。
案内書には見学時間の制限はなかったので、急いで表に回る。なんとしたことか門扉にはしっかり鍵がかかっているではないか。
神社内に入ったからといってどうという事はないのだけれど、がっかりを通り越して力が抜けてしまった。
急に「もぅ歩けない」症候群が…でる。大通りに出たら、歩道橋の向こうに「天通閣」が見えた。
気を取り直して、天王寺までの道を歩く。
「大阪の陣〜」コースはかなり見残したので、また来る事になった。
其の時には、今回まったく寄ることができなかった、道頓堀や戎橋、法善寺や水掛不動などのおのぼりさんコースにも行きたい。
「文明開化〜」コースも見て歩きたい…とすっかり大阪市の観光HPに乗せられてしまっている私達。
MAXに「遅くなるから…」と電話したら「大阪城に6時間」で大爆笑。「晩飯作っておくから、ゆっくりお帰り」。
すっかり夏の日が落ちた時間にようやく新幹線に乗った。
歩き疲れたけれど、「あっ晴れ」のお陰で、面白くも楽しい一日だった。
2008年7月