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清水門の手前は水掘で囲まれていて、門の左右は本丸の石垣で囲まれている。
本丸に入ると正面は本丸御殿の石垣が巡られている。
右に進むと「竹之丸跡」の説明板があった。
「 本丸東に位置し、外周に石垣を巡らした曲輪で、 北東に平櫓(角櫓)南東に二重櫓があった。 白河城御櫓絵図にはこれらの櫓の立面図と平面図が存在し、 往時の姿を伝えている。 (中略) 東日本大震災により、南面石垣が崩落したが、修復に伴う発掘調査で、 現在の石垣から約七メートル北側の位置に会津支城時代(1590〜1627)に構築されたと考えられる石垣が発見された。 」
石段の先には表門とも言われる本丸の正門の前御門がある。
「 裏門にあたる桜之門とともに本丸の防御を担っていた門である。 右側の三重櫓から前御門、多門櫓、桜之門と、 櫓と門が連続する構えの中心的な部分である。 構造は石垣の上に門櫓を渡した楼門形式で、 平櫓の多門櫓と連続して構成されていた。 」
前御門は発掘調査と絵図などを基に木造による伝統工法で、 平成六年に復元されたものである。
「 小峰城は丹羽氏の後、榊原松平氏、本多氏、奥平松平氏、
結城松平氏、久松松平氏、阿部氏と六家十九代が居城したが、
慶応二年(1866)に阿部家が棚倉に移されると小峰城は空き城となり、
白河は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。
慶応四年(1868)正月に起きた戊辰戦争は白河にも及び、
奥羽越列藩同盟軍と新政府軍が約三ヶ月に渡り戦った「白河口の戦い」の際、
五月一日、小峰城のシンボルである三重櫓など、建造物の大半、
城下町の一部が焼失し、曲輪、土塁、石垣、水堀が残るだけになった。
地元白河市は昭和六十二年(1987)、市制四十周年を記念して建物の再建を計画、
前御門は平成六年に復元された。 」
前御門をくぐると「本丸御殿跡」の方形の石碑があり、傍らに「本丸御殿跡」の説明板がある。
「 本丸の平坦地には御本丸御殿(本丸御殿)と呼ばれる建物が存在した。 松平定信が藩主時代の文化五年(1808)に作成された(白河城御櫓絵図」 中の「御本城御殿平面図」では藩主の居所と政庁を兼ねていたと考えられる。 畳数は七百七畳とする記録があり、かなりの大きさだったことがうかがえる。 」
前御門の左側の小高いところに三重櫓が建っている。
「 三重櫓は本丸の北東部に建つ三層三階の櫓で、城郭の象徴になっている。 外観はそれぞれの階の半分を板張りとする下見板張りで、耐久性が高いといわれる。 平成三年に白河城御櫓絵図や発掘の成果をもとに木造で忠実に復元された。 」
復元された建物の受付で日本100名城のスタンプをもらう。
建物中に「三重櫓と天守」の説明板があった。
「 三重櫓は天守と同様の格式を持つ、その城郭の象徴になる櫓である。 江戸時代初期の元和元年(1615)、幕府は武家諸法度で城郭の新規築造や増改築を制限した。 これ以降に作られた天守に匹敵する三重屋根の櫓が三重櫓(三階櫓)と称され、 天主の代用として城郭の象徴となった。 東日本の城郭では多くが天守の代わりとして三重櫓が作られている。 一方、姫路城など西日本の巨大城郭には天守に加え、 各地の天守や三重櫓をしのぐ大きさの三重櫓が複数建てられた例も見られる。 」
三重櫓の隣に「おとめ桜」の石碑がある。
「 本丸の石垣を積む際、人柱とされた娘の霊を慰めるために、 一本の桜の樹を植えたといわれる。 戊辰の戦火に巻き込まれて焼失したが、 春になると新たに芽吹いたおとめ桜が艶やかに城内を彩る。 」
本丸の南側に「多門櫓跡」の石柱が建っているが、
かっては前御門と桜之門を繋ぐ多門櫓が建っていたところである。
下に降りる石垣の所に「桜之門」の案内板が建っていて、 石段の下には「桜之門跡」の石柱がある。
「 桜之門は清水門から左側に入った場所にあり、 本丸御殿の南側入口にある門である。 門に入った先は御殿の庭部分に通じており、 藩主の居住区に近く、藩主などの出入口に利用されたと思われる。 石垣の上に櫓を渡す櫓門の形式で、門の高さは約七メートルだった。 桜之門の付近に桜の木が数本植えられていたことが分かる絵図があり、 門の名はこの桜から付けられた可能性も考えられる。 」
桜之門跡を下りたところの本丸の中央から右側は、 平成二十三年(2011の東日本大震災により崩壊した場所である。
「 小峰城には現在延長約二キロに及ぶ石垣が残られているが、 東日本大震災では本丸南面の石垣が幅四十五メートルにわたって崩落したのを始め、 十ヶ所の石垣が崩落した。 平成二十五年(2013)から復旧工事が行われ、 本丸南石垣は現在の姿に復元された。 」
本丸南石垣の左側には工事用の柵があり進入できないが、 江戸時代ここには月見櫓があった。
「 月見櫓跡の石垣も崩落、 また、本丸の西側には帯曲輪があったが、その跡も崩落した。 現在、これらのところで、鹿島と地元企業で復旧作業が行われている。 」
二の丸跡には二の丸茶屋と白河集古苑が建っている。
「 白河集古苑には、中世に白河城や小峰城を本拠にして、 白河周辺を治め、最盛期には南東北の盟主的存在だった白河結城家と、 最後の白河藩主となった徳川譜代大名の阿部家に伝わる古文書や美術工芸品を保存、 展示している。 結城家古文書九十通は国の重要文化財に指定されている。 」
以上で、白河小峰城の探勝は終わる。
白河小峰城へはJR東北本線白河駅から徒歩5分
白河小峰城のスタンプは小峰城三重櫓か、白河集古得苑にて