京 都 散 策
(京都名所めぐり)

「  晩秋の東山を歩く(1) 」

(京都大学、百万遍知恩寺、銀閣寺)



平成二十年(2008)十二月七日、高校時代の友人と、晩秋の東山地区を歩いた。 
当初はもっと早い時期にと思っていたのだが、 歯の治療が長引き、この時期にずれこんだのである。 

◎ 荒神橋・京都大学・百万遍知恩寺

出発は、荒神橋から。 橋の下の飛び石は亀の形をしている。
KKR京都に宿泊し、京大キャンバスに向かうには荒神橋から加茂川を渡るのがよいのである。 
荒神橋は京大生なら、荒神橋事件で周知の橋であるが、飛び石があるのは、柴田恭兵が演じるはみだし刑事情熱系で知った。  飛び石の間は広く、若くない我らはピョンピョンとはいかず、亀のようにのろのろと渡った。 

その先、この近衛通りに入ると、左右に京大薬学部、医学部の建物がある。 
そのまま進むと、東山近衛交差点で、東大路通りにでる。 
その先の門をくぐると、イチョウ並木があり、 その奥に自転車が並んでいるところは京大吉田寮である。 この建物は、京都帝国大学時代からのものである。  大学は古くなったので、壊して新しい建物にしたいのだが、 学生達の自主管理になっていて、寮費が安いこともあり、 今日まで生きながらえてきたのである。 
小生が大学を出ることができたのもこの寮のお陰である。  寮に入る面接は学生によって行われて、幸い、入寮できた。  寮費は、今のお金で、5千円程度だろうか?  寮生が作る組織で賄いの人を雇っていて、昼と夜の食事は安く食べられた。 
裕福でなかった小生が何故大学にいけたのかと思っていた友人に この寮を見せたら、納得した。 
寮の北側は旧三高で、小生時代は教養部だったが、 大学の法人化で、名前も変わり、今は立派な建物が建っていた。 
その先の正門の先に、創立百年を記念して建て替えた建物がある。
この建物の左前に、イタリアンレストランがあるので、ここでランチを食べた。 
大学の法人化で、一般人に門戸を開放し、このレストランを利用するのは、 外部からの人が多い。  また、時計台の建物ではフランス料理のレストランがあり、 同窓会で利用したが、なかなかうまかった。 
その先を北上すると、百万遍に出た。  百万遍の地名は、ここにある百万遍知恩寺から名付られたもの。  寺は、京都にある浄土宗四ヶ寺本山のひとつで 、本尊は阿弥陀如来、法然上人二十五霊跡第二十二番札所になっている。
毎月十五日に行われる大念珠繰り法要は、 堂内を大きな数珠が僧侶の手でぐるぐる回される変わったものである。 

飛び石 x 京大吉田寮 x 京大本館 x 百万遍知恩寺
飛び石
京大吉田寮
京大本館
百万遍知恩寺



◎ 銀閣寺

知恩寺の先には京大農学部や理学部があり、 学生時代に通った「進々堂」という喫茶店が今でもある。 
今から七十四年前、詩人でもあった初代オーナーが、 詩とパンの勉強でフランスへ留学し、帰国後、 学生に自由に憩う空間を与えるため始めた店で、 友人とだべったり、好きな本を読んだりして、 長い時間を過ごした青春の地である。 
そこからしばらく行くと、銀閣寺入口で、 蕎麦屋の角に、「往来安全 右慈照寺 哲学の小径」の道標が建っていた。 
川に沿って参道を歩くと、銀閣寺の前にきた。 
左側にある浄土院は、知恩院派の寺で、「大文字寺」とも呼ばれ、 毎年八月十六日には精霊送りが行われて、多くの参拝客で賑わう。 
「史跡慈照寺 銀閣寺旧境界」の石柱がある石畳を歩き、 門をくぐる。 
両脇に榊が植えられているのが、「銀閣寺垣」と呼ばれるものだが、 雪の日にここにくると印象的な風景に出会えるのである。 
拝観料を支払い、中に入ると枯山水の庭園が迎えてくれた。
夢窓疎石が作庭した西芳寺庭園を模して造られたとされる庭園である。 
小生は、銀沙灘と向月台と称される二つの砂盛りのこの庭園が、 京都で一番好きである。 
友人は、  「 京都には、何度も来ているが、何時も混んでいるので、 貴方の説明を聞きながら、ゆっくり見たのは初めて。 」 と、いった。  小生は、「 雪が降った日の朝一番、誰もいないこの寺で、この砂の上に積もった雪景色は素晴らしいよ!! 」 と、答えた。 

「 銀閣寺は最初は寺院ではなかった。 
室町幕府第八代将軍、足利義政が造営した観音殿で、義政が亡くなってから、 寺院になったのである。 
義政の祖父の三代将軍義満が建てた金閣と対比され、銀閣といわれるが、 建物には銀箔は使われていない。 
銀閣は、延徳元年(1489)に上棟されたといわれるので、 五百年以上たった建物である。 」

銀閣と通称される観音殿は、修復工事中だった。 
屋根は柿葺きとあるので、柿の木であるのかと思っていたが、 建物の脇の案内には、 「 サワラの薄い割板を三センチづつずらしながら、 竹釘でとめていく工法で作られている。 」 と、あった。 
枯山水の先には、国宝の東求堂(とうぐどう)がある。 

「 東求堂の名前は横川景三の撰によるが、 文明十八年(1486)の建立で、義政の持仏堂である。  錦鏡池(きんきょうち)に面して建てられ、大きさは三間半四方で、 正面の左側に方二間の仏間があり、 右奥には同仁斎とよばれる、義政の書斎がある。
書斎の北側に設けられた付書院と違棚は、現存最古の座敷飾りで、 書院造や草庵茶室の源流として、日本建築史上貴重な遺構である。 」

銀閣寺入口 x 銀沙灘 x -工事中の銀閣 x 東求堂
銀閣寺入口
銀沙灘
工事中の銀閣(観音殿)
東求堂


池の先から上って行くと、銀閣寺全体が見渡せた (下写真)
左奥に銀閣といわれた観音殿は工事中のためテントに覆われて、 その全容はわからない。  中央に銀沙灘、東求堂は右側にあり、その庭園の様子は上からみてもすばらしい。  手前には多くの樹木があるのだが、 これを見て分かるのは、銀閣寺には紅葉する木は少ないということである。  それだけがざんねんだなあと思いながら、銀閣寺を後にした。 

銀閣寺全体

平成20年(2008)12月




この続きは  「 晩秋の東山を歩く 2 」  をごらんください。




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