京 都 散 策
(京都名所めぐり)

「 紫陽花の藤森神社と坂本龍馬の伏見桃山 」




同窓会のアジサイ忌に出席するため、 京都へ行った。 
その際、紫陽花祭が開かれている藤森神社と伏見桃山を訪れた。 

「  今回京都に訪れた目的のアジサイ忌は 大学時代の学生寮でお世話になったおばちゃんが、紫陽花がすきだったことに由来する。
折角の機会なので、会合の前に、紫陽花祭が開かれている藤森神社を訪れた。 」


◎ 藤森神社

京都駅からはJR奈良線に乗り藤森駅で 降り、西へ坂道を下ると、右手に京都教育大、その先に京阪の墨染駅がある。 
その先の大通りを北に向かうと、右手に藤森神社の常夜燈と鳥居があり、 その前には「藤森神社」の石柱と「勝運 馬の社 藤森神社」と書かれた木製の大きな看板が建っている。

「 藤森神社は、神功皇后が軍旗や武具をこの地に埋めて、祭祀を行ったのが起源である。 
桓武天皇も弓兵政所とした、と伝えられる古社で、昔から武家の間に、 武神として崇められてきた神社である。 
大名行列もこの神社前を通るときは敬意を表して、槍を横に倒して歩いたといわれる。
端午の節句の発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、 五月五日に行われる藤森祭で曲乗り妙技で有名な駆馬神事が行われることから、 勝運と馬の神社の信仰が生まれたようである。  」

神社には、勝馬純金お守りを販売されているので、その先の淀の京都競馬場に向かう競馬フアンは神社にお参りして、このお札を付けると万馬券を手にできるかも・・・ 

その奥にある本殿は、 正徳二年(1712)に中御門天皇より賜った宮中侍所(賢所)の建物で、 室町時代の一間社流れ造りである。
また、本殿背後の西にある大将軍社は、磐長姫命を祀る社で、平安遷都の際、王城守護の為、 この四方に祀られた社の一つである。   東側にある八幡社と共に、国の重要文化財に指定されている。 

藤森神社鳥居      藤森神社本殿      大将軍社
藤森神社鳥居
藤森神社本殿
大将軍社


六月十五日からの紫陽花祭の開催のようだが、 土曜日の今日も朝早い今も多くの人が訪れていた。 
会場は二ヶ所に分かれ、三千五百株もの紫陽花が咲き誇っていたが、通路が狭く、花との距離が近いため、
写真撮影には向かないように思えた。 

紫陽花 紫陽花




◎ 墨染寺・長建寺

この後、墨染駅の左手にある、桜寺とも呼ばれる日蓮宗の寺院の墨染寺へ行った。

寺名の由来は、平安時代、藤原基経が亡くなったのを哀しんで、 歌人の上野峯雄が、古今和歌集の中で、
 「 深草の 野辺の桜し 心有れば 今年計りは 墨染に咲け 」 
と詠んだところ、本堂の前の桜が、薄墨色に咲くようになった。 
それ以降、この寺を墨染寺と呼ぶようになった、といわれる。 

墨染桜は、春になると小さく可憐な薄墨色の花を咲かせるというが、境内にあった木は、枝が細く、最近植えられたもののように思えた。

この後、京阪墨染駅で電車に乗り、中書島駅で降りた。 
駅前に 「 豊臣秀吉公守本尊 辨財天御像 長建寺 是北一丁 」 の道標があった。

中書島という名の由来
「 伏見城時代に、脇坂中務少輔安治の邸宅があり、 脇坂氏の官職名、中務は中国風では中書と呼ばれていたので、 その名から中書島の名が付けられた。 
伏見城の廃城後は芦萩が生い茂る島になったが、元禄に入り、 伏見奉行・建部匠頭政宇(たつべたくみのかみまさのき)が開発して、 繁栄をもたらした。 」

中書島駅の西方に竹田街道が通っているが、狭い道を辿って北に向かうと、 長建寺に出た。 

「  長建寺の本尊は鎌倉中期の八ぴ弁財天で、一般に島の弁天として知られる。
元禄十二年(1699)、 伏見奉行の建部政宇が、深草大亀谷即成就院の塔頭・多聞院を当地に移し、 弁財天を祀ったのが当寺の起こりで、寺名は建部氏の長寿を願って名付けられた。 」

境内には、建部氏が寄進した常夜燈があった。

傍らの説明板
「 元禄十二年十二月に奉納された弁天型燈籠一基で、建部氏が 伏見奉行に着任してすぐの奉納で、 御香宮、藤森神社にも奉納。  奉行の伏見への意気込みがうかがえる。 」  


墨染寺      道標      長建寺
墨染寺
道標
長建寺


◎ 中書島

その先には川が流れ、橋が架かっていた。 
川の沿ってしだれ柳が青々と茂り、川面には十石船が浮かんでいる。

「 宇治川の流れが変わってしまったので、ピントこないが、 江戸時代には伏見港があり、高瀬船と三十石船など、 幾多の船が京都から宇治川、淀川を経て、大阪へと行き交っていた。  淀川を利用した河運は、明治に入っても賑わっていたが、 陸上輸送が発達した昭和初期に終わった。  また、中書島は戦後埋め立てられて、島でなくなった。 」

伏見は、昔から良質な地下水が湧き出たところなので、 「伏水」と書かれたこともある。 
それを生かしたのが酒造業で、歴史は古い。 
川を渡り、T字路に出て、左折すると月桂冠の建物が建っている。 

「  月桂冠は大蔵酒造として知られる日本酒の全国一のメーカーである。 
大蔵酒造の創業は、寛永十四年(1637)という古い歴史を持つ。  前身は笠置郷から出てきた大倉治右衛門により始まった笠置商店である。
経済産業省が認定した近代化産業遺産には、 月桂冠大倉記念館と同館所蔵の伏見の酒造用具や内蔵酒造場、 月桂冠の旧本社などが選出されている。 」

その先には、伏見夢百衆の暖簾をかけた店があり、京美酒うどんとあったので、 興味を感じたが、この後は宴会への出席を控えているので、 食事をする訳にはいかない。 
少し歩くと、黄桜酒造のカッパカントリーがあった。

「 黄桜の創業は大正十四年(1925)であるが、 昭和三十年(1955)に週刊朝日に連載中の清水崑のマンガ、 「かっぱ天国」のかっぱをCMキャラクターとして使用したことで、 認知度を高めた。 
一般大衆に宣伝がほとんど行われなかった時代に、 黄桜はマスコットキャラクターを設け、宣伝に乗り出したのであるから、 経営者の先見性は高かったといえる。 」

今回の伏見見学はここで時間ぎれである。 
次回は寺田屋など、坂本龍馬のゆかりの地をまわろう。

十石船      月桂冠      黄桜酒造
十石船
月桂冠
黄桜酒造




この続きは  「 紫陽花の藤森神社と坂本龍馬の伏見桃山(続き) 」  をごらんください。




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