京 都 散 策
(京都名所めぐり)

「 東福寺〜花山稲荷 」

( その二 醍 醐 寺 )




◎ 醍 醐 寺

東福寺からJR奈良線で六地蔵駅に行き、 地下鉄東西線に乗り換え、醍醐駅で降りた。 
駅から東に向って歩くと、14時30分、 醍醐寺の入口、五色の「奉納 醍醐山五大力尊」の幟がはためくところに附いた。 

「 醍醐寺は、真言宗醍醐派の総本山で、 西国三十三ヶ所の第11番札所である。 
平安時代初期の貞観十六年(874)に、 弘法大師の孫弟子が上醍醐に如意輪観音などを祀り、 開山、醍醐山の頂上の上醍醐を中心に、修験道の霊場として発展した。 
醍醐天皇は、祈願寺とし、下醍醐に延喜七年(907)に薬師堂、 延長四年(926)には釈迦堂(金堂)を建立し、今日の醍醐寺の原形が造られた。 
応仁の乱などで、下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残る状態になったが、 豊臣秀吉の醍醐の花見の時、三宝院が再興されるなど、伽藍が復興し始めた。 
秀吉の死後、息子の秀頼により、慶長五年(1600)、金堂の移転、慶長十年、 西大門の再建、 慶長十一年(1606)には如意輪堂、開山堂、五大堂(現存せず)が再建された。 
明治の廃仏希釈でも、醍醐寺は寺宝を守り抜き、今日に至っている。 」

醍醐寺の総門をくぐると、右側に受付があり、霊宝館と平成館などがある。 

「 霊宝館は、昭和十年(1935)の建設された寺宝を保存、 公開するための施設である。 
薬師堂から薬師三尊像(国宝)と、 醍醐五大堂から五大明王像(重文)が霊宝館の平成館に移され、安置されている。 
薬師三尊像の薬師如来坐像は、病や痛みと同じ場所へ金箔を貼り、 祈ると平癒することから、「箔薬師」と呼ばれ、多くの信仰を集めている。  五大明王は、「五大力さん」として親しまれ、人々から災いから守る神様として、 古くから信仰されていた。 」

霊宝館の左手に三宝院がある。 
三宝院は、永久三年(1115)に醍醐寺十四世座主により創建され、 以来、醍醐寺座主の居住する本坊として、醍醐寺の中核を担ってきた。 

「 金堂のすぐ西側に建立されたが、応仁の乱で焼失。 
豊臣秀吉が慶長三年(1598)に催した醍醐の花見を契機として、整備が行われた。 」

三宝院の唐門の前には、「下乗」の石碑があり、 門には金色の豊臣氏の紋が多く嵌めこまれていた。 

「 唐門は、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる 勅使門である。 
旧伏見城の遺構と伝えられ、創建時には、門全体が黒の漆塗で、 菊と桐の四つの大きな紋には、金箔が施されていた。 
平成二十二年(2010)に往時の壮麗な姿に修復された。  その大胆な意匠は、桃山時代の気風を今日に伝えている。 」

醍醐寺総門
x 霊宝館 x 三宝院唐門
醍醐寺総門
霊宝館
三宝院唐門


三宝院唐門の前には、「下乗」の石碑があり、 門には金色の豊臣氏の紋が多く嵌めこまれていた。 

「 唐門(勅使門)は、旧伏見城の遺構と伝えられ、 2010年に修復され、金箔と黒漆の見事な門になっている。 」

三宝院に入ると、右側に大玄関があり、まっすぐすすむと表書院である。 

「 庭に面して建てられている表書院は、 醍醐の花見の際、奈良から移されてきた能の楽屋に中門を付加したもので、 寝殿造りの様式で、国宝である。 
下段の間は「振舞台の間」と呼ばれ、畳を上げると能舞台になる。  上段の間、中段の間は、下段の間より一段高く、能楽や狂言を高い位置から、 見下ろせるようになっている。  また、上段の間、中段の間の襖絵は長谷川等伯一派の作で、下段の間は石田幽汀の作である(国の重文に指定)    」

醍醐寺では室内の撮影は禁止されているが、庭や建物の外観の撮影はできる。
表書院に接続しているのは三宝院庭園である。 

「 庭園を設計したのは秀吉で、国の特別史跡・特別名勝である。
秀吉により、慶長三年(1598)の醍醐の花見に際して、 自ら基本設計し作庭したと伝えられる池泉回遊式庭園である。 」

大玄関
x 表書院 x 三宝院庭園
大玄関
表書院
三宝院庭園


池の中の左側に、幹の太い立派な五葉松が島全体を覆っていて、 亀の甲羅のように見える島を亀島という。 
この松は樹齢六百年といわれる天下の名木で、亀の「静寂」を表している。 
右側にある島が鶴島で、この松も五葉松である。 
石橋が鶴の首にあたり、今にも鶴が飛び立とうとしている「躍動感」を表現している。
庭の中心に位置する三つの石は、阿弥陀三尊を表している。 
歴代の武将に引き継がれたことから、「天下の名石」といわれている。 
池の手前の三つの石は賀茂の三石である。 
左の石は、賀茂川の「流れの速いさま」 、中の石は「川の淀んだ状態」 を、 右の石は「川の水が割れて砕け散る姿」 を表している という。 

亀島・鶴島
x 阿弥陀三尊 x 賀茂の三石
(左奥)亀島  (右奥)鶴島
阿弥陀三尊
賀茂の三石


この他に本堂や奥宸殿などがあるが、通常非公開であった。

「 本堂には本尊の快慶作の弥勒菩薩が祀られているので、弥勒堂といわれている。
脇侍は、右宗祖弘法大師、左に開祖理源大師である。 
本堂の裏に護摩壇があり、護摩堂と呼ばれている。 
奥宸殿は、江戸初期に建てられたと伝えられ、田の字の間取りをしていて、 主室の上座はの間は、床棚書院及び帳台構(武者隠し)を備えている。 」

三宝院を出て、桜馬場を進むと、西大門がある。

「 慶長十年(1605)に豊臣秀頼により再建された仁王門である。 
仁王像は、もとは南大門に祀られていた像で、 長承三年(1134)に仏師の勢増と仁増により造立させたものである。 」

門をくぐると、下醍醐の伽藍になる。 

右側に「重要文化財 清滝宮」の標木があり、奥に本殿が見える。 

「 清滝宮本殿は、永長二年(1097)に上醍醐より分祀して創建されたが、文明年間(1469〜1487)の兵火により焼失した。 
現在の建物は、室町時代の永正二年(1517)に再建されたもので、 本尊は准祇観音と如意輪観音である。 」

清滝宮本殿の西側は塔頭・無量光院の跡地で、拝殿は慶長四年(1599)の建立である。 
その反対側にあるのは醍醐寺の本堂の金堂である。 

「 平安時代後期の延長四年(926)に醍醐天皇により建立されたが、 永仁年間(1293〜1299)に焼失した。 当初は、釈迦堂と呼ばれていた。  再建されたお堂も文明年間(1469〜1487)の兵火により焼失した。   現在の建物は豊臣秀吉の発願により和歌山(紀伊国)湯浅の満願寺の本堂を移築したもので、 慶長三年(1598)から移築を開始し、秀吉没後は豊臣秀頼が引き継ぎ、 慶長五年(1600)に落慶した。 
秀頼により築造された金堂は、入母屋造、本瓦葺き、正面七間、側面五間の建物で、国宝に指定されている。 
部材には平安時代のものが残るが、鎌倉時代に改修を受けており、 移築時の桃山時代の手法も混在する。  正面が出三斗、側面と背面が平三斗という異例のデザインを持つのが特徴で、 立ちの高い入母屋屋根は移築時の改修である。 
本尊は鎌倉時代の薬師如来坐像(重要文化財)で、脇侍は日光菩薩と月光菩薩。  四天王像も安置されている。 」

西大門
x 清滝宮 x 金堂
西大門
清滝宮
金堂


 

その先の右手に聳えるのは、五重塔である。
京都府下で最古の木造建築物で、国の重要文化財に指定されている。 

「 平安時代の承平元年(931)、 醍醐天皇の第三皇子の代明親王が醍醐天皇の冥福を祈るため発願したが、 代明親王は死去。 朱雀天皇が起工、完成したのは村上天皇の天暦五年(951)の時、 発願後二十年を経過していた。  」

五重塔の道の反対(金堂の東側)にあるのは、不動堂である。 

「 堂内には不動明王を中心に、五体の明王を奉安している。  また、堂前の護摩道場では、当山派修験道の柴燈護摩が焚かれ、 世界平和など様々な祈祷が行われる。 」

石段を上ると左手にある建物は真如三味耶堂で、金色の涅槃像を祀る。  

「 この建物は、 真如苑の開祖・伊藤真乗が興した密教法流「真如三味耶流」を顕彰するため、 醍醐寺により、平成九年(1997)に建立された。
もとは、朱雀天皇の御願による法華三味堂として、 天暦三年(949)に創建されたものだが、享徳十九年(1470)に焼失している。 」

五重塔
x 不動堂 x 真如三味耶堂
五重塔
護摩道場と不動堂
真如三味耶堂


 

「西国三十三観音札所 准胝観世音菩薩」の赤い幟が参道の両側にはためいていたが、 その左側に祖師堂がある。 
その先の昭和五年(1930)に、山口玄洞により建立された日月門をくぐると、 「醍醐寺 旧伝法学院(修行道場)」の標木が立っている。 
少し行くと、左手に西国三十三観音札所の観音堂があった。 

「 この観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、鐘楼、 伝法学院等を総称して、大伝法院と呼ばれる。 
これらの諸堂は、醍醐天皇一千年忌を記念し、昭和五年(1930)に、山口玄洞居士の寄進により、 造営されたものである。 
札所本尊の准胝観世音菩薩は子授けの観音様として、多くの信仰を集める。 」

その先に池泉があり、赤い神橋と弁天堂がある。 
秋には紅葉やイチョウが色づき、朱塗りの弁天堂が水面とよく合う紅葉の名所のようである。 
冬の今は落葉で枝がむき出しになり、残った楓の葉と白と朱色のコントラストが見られ、 朱色の弁天堂と神橋とで、一幕の画になっていた。 
その先は上醍醐の参道であるが、上醍醐にはかなりの時間が必要なので、 醍醐寺の参拝はここで終了とした。

祖師堂
x 観音堂 x 弁天堂
祖師堂
西国三十三所第十一番札所観音堂
弁天堂




この後 随心院  に向かった。




かうんたぁ。