三春の桜はエドヒガンサクラであることもあってか、桜の開花が遅く、年によって違うが四月二十日〜二十四日ごろ
である。 早朝四〜五時に宇都宮を出て、東北自動車道路で郡山ジャンクションを経て、常磐自動車道路に入り、
郡山東インターで降りる。 料金所には滝桜までの地図を置いてあるので、それを貰ってそれに従って行く。
シーズン中は車が殺到し、九時を過ぎると渋滞することが多いので、九時前にはインターに着くとその後が楽である。
そこからは、要所要所に案内があるのでそれを見ながら目的地に到着ができる。
最初に行ったときは六時過ぎに着き、滝に近い道路脇に車を置いて撮影したが、七時過ぎには交通整理のパトカーが来て、
道路に停めた車を排除したので、それを期に撮影を終えた。
二回目は、家内を案内して行ったので、少し遅く出たため到着は八時近くになったが、駐車場はほぼ満杯という状況で、
九時半過ぎ、ここを立ち去る時には駐車待ちの車が道に溢れていた。
滝桜はエドヒガン系の紅枝垂桜
(ベニシダレザクラ)で、大正十一年十月十二日、国の天然記念物の指定を受けた名木で
ある。 樹高は十二メートル、根回りは十一メートルもある巨木で、樹齢は千年以上という驚くほど古い木である。
依然に比べ勢いが落ちたという声もあるが、依然、見たものを圧倒するなにものかがある。
花の咲く時期がここ数年早くなり、二十日ごろが満開ということが多くなった。
掲載の写真は最初に行ったときのものであるが、このときは最高の花が見られた。 二回目の家内と一緒のときは、まだ
つぼみが多く、今一つという状態で残念だった。 しかし、この日の温度は高く快晴であったことで、夕方には一気に
満開になったというから、桜の開花予想は難しい。
四方に伸びた太い枝から、薄紅の滝がほとばしるかのように小さな花が無数に咲き、その様はまさに滝が流れ落ちるかのように見えることから、古来滝桜とよばれるが、満開の桜はまさにその通りで写真のアップにも耐える迫力のあるものである。 花の色は満開の頃はかなり白くなるような気がするが ・・・・
その後の二回はその他の桜を撮りに行った帰路に寄ったが、観光バスが多く写真を撮るという訳にはいかなかった。 人が
はいってしまい、写真にはならないのである。
三春には他にも有名な桜が多い。
最近、特に有名になったのが写真家、竹内敏信が発表して以来、テレビで登場するようになった福聚寺(ふくじゅじ)
の桜である。
福聚寺は三春町内にあり、室町時代に三春の礎を築いた田村氏の菩提寺である。
最初のときは町の無料駐車場に置き、坂を登って歩いた先から見下ろしたところに桜が見えた。
竹内氏の竹林を背景にした写真が気に入っているので、同じアングルから写したいと思って撮影場所を探した。
ほぼ同じ位置と思える場所があったが、そこは墓地ですでに墓が建っていた。 更に、写真集を取り出して確認すると、
この高さでは同じ構図にならず、もっと高い位置であることが分かった。 即ち、かなり高い脚立を立てて撮ったと
思われる。
そうして撮ったのが右の写真である。 竹林の緑と濃いピンク色のベニシダレザクラとの取り合わせが美しい。
次回は、寺の駐車場に入れて、寺の正面から入り、桜の近くで撮影をした。
このときは桜も満開から少し後という感じで花の色はやや白味を帯びていた(?)
その時、住職にもお会いでき、面白い話を伺った。
『 NHKから放送したいという話があり、OKしたところ、それまで桜の近くにあった電線が地表に下ろされて、
テレビに映ったのは電線の入らない風景だった。 NHKのやることはすごい。 』 というものである。
NHKさんは電力会社に頼んで臨時工事を行って全国放送をしたとはやるではないか!?
滝桜と双璧をなすと地元で評判の桜は紅しだれ地蔵桜である。
地蔵桜は、桜のたもとに地蔵堂(延命地蔵尊)があることから名が付けられたといわれ、郡山市外の山あいの地、
三春町と布引町との境というところに位置する中田町木目沢にある。
根周りが六メートル三十センチ、幹周りは四メートル十センチ、高さは十六メートル、樹齢は約四百年というベニシダ
レザクラである。
三春の滝桜から少し離れたところで、場所が少し分かりづらいこともあり、知るひとは知るという程度だったが、ここ
数年、人気のある木にランクアップした感がある。 写真家の竹内氏が「写真的という意味では滝桜の上を行く」と述べた
という記事が風景写真1999年3月号に掲載されているが、これがこの木を有名にした一因と思っているが、真相は
どうか?
小生はこれまで二度訪れた。 桜自体に風格があり、ベニシダレということからか、桜の色合いが複雑な感じがする桜
である。 その分だけ、カメラアングルが難しく、また、露出調整や光の角度などが今ひとつという感じである。
そういう意味ではプロ好みの木かも知れない。
これとまったく方向を逆にする三春の北西(?)に高柴デコ屋敷と呼ばれる地区がある。
現在は郡山市西田町であるが、昔の奥州三春藩高柴村に残る数軒の人形職人の家である。 三百年の伝統を受け継ぎ、
今でも、三春張子人形や張り子面、お正月のだるまなど作り続けている。 江戸時代には、藩の庇護を受けたとあり、
代々伝わる張子人形の木型などが一千以上残っているという。
妻は興味があると、そのうちの一軒に入り、製作する工程を見学してきた。 こうした民芸品は歴史的には貴重と思うが、
これを買おうという人はどれだけいるものだろうか? 時代に合わせて、表現法などを合わせていかないと、これで飯を喰って
いくのは難しいのではないだろうかなど、こうしたものに興味がないので、勝手なことを思った。
お目当ての桜は少し小高い岡の上にあった。 社(やしろ)があるところに聳え立つようにあったが、
少し早いかと思えた。 夜間照明の準備をしていたので、夜桜が楽しめるようである。
桜の名所とあまり宣伝していないので目立たないが、しだれ桜が多いのは岩代町である。
町のホームページに約二十本の木が紹介されている。 その中で特に有名なのが合戦場(かっせんじょう)
の桜である。 岩代町の東新殿地区にあり、源義家と阿部定任、宗任が戦った古戦場跡に咲く桜で、樹齢は二百年、樹高は
十八メートル、幹周りは三メートル三十センチ、二メートル八十センチの二本木立である (右写真)
樹勢が良く、花の量が多いので、おすすめの桜であるが、民家の一角にあり近寄れないし、撮影の際、家の屋根がじゃま
になるなど、制約がある。
反対側に周り、農道からだと樹の姿はきちんととれるが、距離があるので三百ミリ位の望遠では足りないので、思ったよう
な写真は難しい。
そこから下に降りて行き、畑の中から菜の花を入れて撮った写真を最近多く見るが、それも1つの方法だろう。
ここは岩代の中でも唯一宣伝していて、売店を出し商売熱心である。 そのため、シーズンには多くの人が寄せてくる
ので、車を置く場所が困る。
そこから少し下ったところに、山桜が咲いていたので、車を停めて写した。
福田寺(ふくでんじ)の糸桜は、シダレザクラで、三春の滝桜の子と伝えられる桜で、樹齢は三百年、
高さ二十メートル、幹周りは五メートルである。 合戦場桜の親と伝えられる桜の木であるが、合戦場桜に比べ、樹に勢い
がなく、花つきが悪く、撮影しても映えない感じである。 この桜は同じ地名の東新殿にあるが、四キロ位離れている。
以上が三春と周辺の桜の探訪記であるが、三春町内だけでもしだれ桜は随所に咲いており、写真を撮る目的でなければ
見ごたいのあるものが多いことを申し添えておく。
(撮影)三春の瀧桜 平成10年4月19日
福聚寺の桜 平成12年4月22日
地蔵桜 平成13年4月17日
デコ屋敷の桜 平成12年4月22日
合戦場の桜 平成13年4月17日
(文作成)平成16年8月25日
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