三 留 野
三留野といわれても、知っている人は少ないだろう。 木曾路といえば、妻籠や馬籠、そして、奈良井という名が挙がっても、三留野の名がでることはほんどない。
しかし、江戸時代、三留野は中山道のれっきとした宿場町だったのである。 中山道を旅する人々を苦しめた木曽川は、ここから先、大桑村の野尻まで、断崖絶壁で岩の間にはしごを渡した程度の道であった。 水がでると歩けなくなる交通の難所だったので、川留めに備え、宿場ができ、栄えたところなのである。
明治に入ると、木曽川が発電に利用され、ここに幾つもの発電所が建設された。 それをすすめたのが、福沢桃介である。 桃介は福沢諭吉の女婿で、”電力王”といわれ、衆議院議員、帝国劇場代表取締役などを歴任した人物であるが、日本人初の女優”貞奴”との恋が有名である。
そうした歴史の残る町だが、国道や鉄道の開通でかっての華やかさはない。
現在は、妻籠や馬籠への玄関口として、南木曾駅に特急が停まるが、旅人はそのまま、妻籠に向かってしまい、ここに立ち寄るひともほとんど見かけない。
三留野の紹介はその程度として、御目当ての”みつばつつじ”は、福沢桃介が架けた木製の吊橋を渡った先にある公園にあった。
公園を少し登ったところに霧雨に煙るつつじが咲いていた。 かなり大きな株もありきれいだった。 日光で見たのは東国みつばつつじで、種類が違うが、みつばつつじ以外も植えられているようなので、それがあったか、見極めはできなかった。
下に降りた道脇で、山桜を見つけた。 八重桜である。 これまた、廻りの風景に溶け込んで、美しかった。 桜は晴れが似合うと思っていたが、雨もまた、良しである。
周りに、白梅やヤマモモなどいろいろな花が咲いていて、まさに春だ!!と感じることができた。
奈良井
平沢から寝覚めの床の脇を抜け、木曾路最大の難所だった”木曾の桟(かけはし)に寄る。 当時の石組みが残されているので、okanは見に行き感心して帰ってきた。 私は何度も来ているので車の中で待っていたが・・・
相変わらず小雨が降っている。 木曽福島は寄らずに通過し、日義(ひよし)村の木曽駒高原の入口にあるお蕎麦屋さんで昼飯を取った。 相変わらずうまいそばである。 okanもここのはうまいといってくれた。
このあたりは朝日将軍・木曾義仲の育ったところで、遺跡はあるが、先を急ぐ。
薮原から奈良井の間に鳥居峠があり、中山道の歩きでは苦労したが、今回はトンネルをくぐって”あっ!という間に向こう側に抜けた。
奈良井は後回しにして、平沢に行く。 道の駅の建物が、”平沢漆器”の展示館になっているので、まずそこに行った。 一通り見学し、家族の箸と漆をガラスに巻いた”ぐい飲み”を買って、町中にある漆器店見学に出る。 小生は興味がないので、車の中で一服。 その間、okanは勢力的に歩き廻り面白かったと喜んで帰ってきた。
奈良井に向かう。 道の駅の駐車場に車を置き、奈良井宿に入った。 奈良井は雨で濡れていた(上写真)
okanはゆっくり見たいし、小生は桜を探すということで、途中で別れて別行動をとることになった。
これまで数回訪れた奈良井はすべて晴れていたので、これまでと違う、奈良井の風景があった。 平日に雨ということもあって、人通りもなく思通りの写真がとれた。
左の山上にしだれ桜が見えたので、墓地の間をくぐり、木の近くまで行って何枚も写した。 空が曇っているので、露出がアンダーになることを心配し、露出調整をして撮ったが、思うような写真にはならなかった。 角度を変え、しだれの花部分を霧雨に煙る遠景をバックにとって見た。 これはそれなりに様になったようである。
下に降り、奈良井駅が見下ろせる場所に移動する。 駅の近くに桜が咲いているのが見えたので、線路をバックに写した。 晴れたときと違う雰囲気で撮れ、奈良井宿らしさがでたように思えた。
今回は桜探訪というより、木曾路の春はどうかなあという軽い気持ちで出かけたのだが、思ったよりすばらしい出会いに恵まれた。 来年も、雨を気にせず、桜を見に行こうと思っている。
(訪問)平成16年4月20日
(文作成)平成16年4月28日
桜紀行 中部地方(3) 信州・伊奈の桜へ
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