平成十六年四月十三日。
早朝に高速道路を使うのは少し抵抗があって、豊田市から国道153号線を使用し、稲武、治部坂の高原地帯を通り、
飯田市に抜けた。 この判断は失敗で、飯田に入ると、朝のラッシュに遭い、無駄な時間を費やした。 もう三十分早く
でればラッシュに遭わずに済んだと思った。
国道を北上し、駒ヶ根市に入り、早太郎伝説の残る光前寺に向かう。 ここにはしだれ桜があり、名所になっているから
である。 朝が早いので車はちらほら。 早速降りて桜に向かったがまだつぼみで撮影には向かない。 諦めて北に車を
走らせた。
伊那北インターの先に、観光梅林があることを思い出し、行ったことがないので行ってみるかと、ナビを検索し、それに
導かれて行く。
近くまで行くと、誘導する看板が立ち、車を降りると、係員の案内で中に入れられてしまった。 かなり強引である。
梅の花の最盛期は過ぎているので、客の数は少なかったが、屋上からの景観はスケールが大きく、見事である。
これで入場料を稼いているのだと納得した。 桃の花と白梅の遠景を望遠レンズで切り取って写し、下に降りた。
梅は食用のものが大部分で花そのものはきれいではなかったので、屋上からの写真だけがよかったということになる。
レンギョウの黄色い花が目立ったので、紅梅も入れて、水辺を写した。 ソフトフイルターを使って明るく仕上げた。
写せる被写体はこれぐらいなので、引き揚げる。
このあたりは南箕輪村で、大芝高原の森の中に大芝の湯というのがあるのを思い出し、行ってみることにした。
温泉が単純泉の為か、水道水を沸かしているのとあまり違わないような気がして、温泉に入った気がしなかったのは残念である。
十一時を過ぎていたので、これから高遠に入ると観光バスに巻き込まれてしまうだろうと思い、他にないかと
調べると、伊那市の桜の名所として、春日公園を見付けた。 どんなところか分からぬまま行くことにした。
市街地の高台にある公園は、春日城址で、市の文化会館に隣接してあった。
春日城は戦国時代の天文三年(1534)に、伊奈部大和重慶が居城した平城であるが、武田の佐久、小県地方への侵入により、
小笠原氏は破れ、当城もその傘下の春日河内守昌義が城主になったが、天正十年(1583)、織田信忠による木曾路伊奈路侵攻
により城は焼かれて廃城になった。
桜の名所といってもたいしたことはあるまいと思っていたのだが、びっくり!! 高遠と同じ、コヒガンザクラが二百本も
あったのである。 コヒガンザクラは終わりに近かったので、風が吹くと、パーッと散り、その花吹雪は表現しようもない
ほど美しかった。 花の絨毯を敷き詰めたような場所で若い衆が花見をしていた。
公園からは市街地が見下ろせ、川のはるか向こうに南アルプスの雄姿も見ることができた。
公園の残り半分には染井吉野が植えられていたが、樹齢がかなりな経っているので、これもまた、すばらしかった。
そのようなすばらしい環境の中で、持参したコンビニ弁当を食べながら桜を鑑賞したが、食事時を過ぎると沢山いた人が帰っていったのは平日だったからだろうか?
昼を利用して花見に集まり、食事をして仕事場に戻れるなんてなんどすばらしいところと思ったのである。
東伊那のお寺にしだれ桜があると聞いたので、行ってみることにした。 栖林寺(せいりんじ)
というお寺だが、調べてみると、地名の東伊那は伊那市ではなく、駒ヶ根市であることが分かった。 そこに向かっ
て走る。
農道という農林省が権益を増やすために造った道路は国道などと少しも変らない立派なものである。 空いていてよいので
利用する。 道脇にある、ガーデンパパは健康食品のショウルーム兼レストランであるが、ミツバツツジが満開で美しかった。 走って行くと、自然の残る春らしい風景がある。 天竜川を渡ると、水を張った先に、芝桜が植えられた古い家を見て、停まる。 その先にも紅梅か、花桃川からないが、菜の花とマッチした風景を見た。 その度に停まり、また、走った。
栖林寺は少し分かりづらいところにあり、行きすぎて道を教えてもらって到着できた。 駐車できる場所がないので、近くの
道脇に止めて登っていった。 すでに数人のひとが三脚を建てて写真を写していた。
花の具合は!!と見ると、残念ながら最盛期は少し過ぎたという状況である。
三日ほど前が良かったと地元のひとがいっていた。 その時使用したのか、寺を囲む塀に、櫓が組れたままになっていて、
寺院を入れて撮るのには具合が悪い。
空に雲が増えてきて桜の花にはまずい状況になってきた。 リバーサルでの撮影はあきらめ、デジカメ一眼でしばし
撮影した。 夕日の具合では面白い写真も撮れそうだが、我慢しきれず撮影を終えた。
なお、寺に入る道に石仏が並んで建っていた。
伊那地方や木曾地方にしだれ桜の木を見かけるが、幹周りは細く、花も小さく繊細な感じがする。 東北桜のように巨木は
信州にはないように思えたがどうだろうか?
暖かいため、桜が長生きできないのか、江戸彼岸桜は当地には生育できないのか分からないが、数百年も経た桜を聞かない。
(訪問)平成16年4月13日
(文作成)平成16年6月25日