『 根 尾 薄 墨 桜 』 

福島県三春の滝桜、山梨県実相寺の神代桜と岐阜県の根尾谷に咲く薄墨桜を日本三大桜と呼ぶようである。 福島県の三春にある滝桜には既に訪れているが、その他の桜はまだ無訪問であった。  根尾の薄墨桜はこれまでも行くチャンスがあったのだが、桜の季節は馬鹿込みすると聞いて尻込みをしていた。 今回、 早朝なら混むこともあるまいと、勇を振るって行ってみた。                      


根尾薄墨桜

根尾薄墨桜を一度見たいものと思っていたが、花の時期が分からないのと、大変込むというので、今日まで来た。  今年はいくぞ!!と、新聞の開花だよりを見ながら、訪れる日を検討したが、「今年は早くなる」という予想が途中から 「平年並み、そして、再度「早くなる」と変わり、翻弄される。  そういうことで、名古屋の桜が散った平成十六年四月六日、現地の情報がはっきりしないまま、早朝に自宅を出た。 高速道 路だと名古屋市外をぐるーと廻り、一宮を経て、岐阜羽島インターで降り、北上するコースになるが、それでは芸がないと、 今回は高速を使わずいくことを考えた。  まず、春日井に出て、多治見、美濃太田を経由し、関にでた。 そこから、国道418号。 武芸川町(むげがわちょう) は薄暗い中を通ったが、 (宿場町だったのか否かはわからぬが)古い家が残っていた。 美山町(現在は山県市)に入ったあたりで、道は細くなり、 国道とは思えない道になってきた。 道の表示が国道256号に変わっているのは国道418号と同じ道を共用しているからか?  国道256号はやがて分かれて洞戸村を経て板取村まで続いているが、岐阜市から来るからか、バイパスができたりして 良い道のようである。  国道418号は分かれると、山の中に入って行く。 これから先はすれ違いができない一車線の道で、所々にすれ違いができる スペースがあるが、対向車はこないか心配しながら走る。 早朝のこの時間に根尾にいく車は私だけであるが、平日なので 勤務地に向かう対向車はけっこうあった。   それでも、尾並坂峠を越えると車もなくなり、坂を下りていくと、板屋という集落を経て、樽見(現在は本巣市根尾樽見) に着いた。 樽見は大垣から来ている樽見鉄道の終着駅である。 国鉄時代、福井県の大野まで伸ばすということで作られ た路線であるが、過疎化で第三セクターになり、赤字続きで将来があやぶまれる鉄道の一つである。 森林資源が国策の 時代のものなので、しかたがないのだろう。  樽見は根尾村の中心といっても、山に囲まれたすりばちの中にある感じで平坦地も少なく、発展性も感じられない。
お目当ての薄墨桜は越前大野にでる国道157号から山側に少し上ったところにあった。 桜の季節は車が殺到するので、 一方通行である。 到着したのは七時であったので、駐車場はがらがら、桜までの両脇にぎっしりある売店も営業はしていなかった。 

車を停めて写した山桜


根尾村の駐車場から見た雪山と山桜


それでも桜の周りにはカメラマンが多くいた。 中には二メートル以上の高さの脚立持参の組もいた。  桜に近づきよく見ると、まだつぼみのものが多く、五分咲きという状態である。 とはいえ、折角きたのだからと、一時間 近く写した。  薄墨桜は日本でも有数の古木であり、樹の高さは十六メートル余の彼岸桜で、推定樹齢は千五百年余とあった。 地元に 残る伝説では、「 第十六代継体天皇の祖先が政争で都を追われ流れてきたが、その子孫が継体天皇として都に帰ること になった。 天皇はこの地を去るのを惜しんで桜を自らの手で植えた。 」 とある。 継体天皇は謎の多い人物である ので、こうした伝説も生まれたのであろうし、山深い根尾谷に生まれた人にとってはかくありたいという願望もあつて 生まれた物語であろう。 薄墨桜は 蕾の時は紅色がかり、満開時は白色、そして、ピークを過ぎると薄墨色を帯びる。 これが、名前の由来である。

薄墨桜 薄墨桜

とはいえ、古木であるので、幹が朽ち果て少し痛々しい。 また、副え木が多く、桜が咲いていないため、それが目立つ ような気もするが、少し心配である。 来年は満開になってから来ようと思いながら、今日の撮影は終えた。 余談になるが、 地元の人の話ではこの桜が有名になったのは中部電力がダム建設のために道を引いたのと地元に 多額のお金を落としたお陰ということであった。

谷汲の桜

トイレに寄ったり、持っていったコンビニ弁当を食べたりしたが、まだ九時前である。 近くに、うすずみ温泉があるが、 十時からの営業なので待ちきれない。 谷汲はどうかと思い、そちらに回ることにした。  谷汲までの道は国道157号で快適な道であった。 あとで分かったのであるが、旧道が集落の中を通っているので、集落を あまり見なかったのである。  花がきれいなところで駐車をし撮影をしながら、谷汲に入って行く。 

谷汲までの道で


谷汲までの道の途中で


華厳寺は谷汲山華厳寺といい、西国三十三番満願霊場として知られ、千二百年の歴史をもつ天台宗の寺である。  ナビに導かれて近くまできたが、そこでストップ。 
寺からかなり離れたところで、有料駐車場に入れられ、寺まではとぼとぼ歩いて行くことにあいなった。  門前町はどこでも同じなのかも知れないが、買ってもしょうがないような御土産を売る店が山門まで続いていた。  案内では春は桜、秋は紅葉とあるので釣られてきたが、寺の境内には桜の木は見渡らない。  秋には紅葉していた記憶があるが、桜はないようである。  本尊の十一面観音像をはじめ、貴重な文化財が多くあるようだが、西国三十三ヶ所の打ち止めの札所なので、それを目当て に訪れる人が多い。 本堂の裏には満願のお札を納める場所がある。  山門の前にソメイヨシノがあり、満開だったので、華厳寺の桜と思って写した。 

華厳寺山門


華厳寺山門


土産店の並ぶ参道にも桜の木はあるが、花祭りの提灯がぶら下がって観光写真にしかならないので写すのはやめた。  スナップ写真を撮るならよいが、桜を主体にするには背景がよくないと写真にはならないので、早々と退散である。
駐車場の周りを一回りしてどこかに桜はないかと探したが、車に戻った。 横蔵寺に行ってみようかと思い、車をだすと、 ほんの数分走った右側に公園があり、桜が咲いているではないか? 人の声も聞こえてくる。  山の勾配に桜の他に、梅や桃が植えられている。 福島の花見山ほどのスケールではないが、感じは似ている。  坂を上り車を駐車場に入れて、写真を撮った。

谷汲公園の桜


ソメイヨシノの花は最盛期を過ぎていたが、それでも華やかである。 上の方はどうかと上っていったが、下から見たと きはきれいに見えたが、すでに姥桜になっていた。 人の目には騙せても写真ではきっちり写るのでだめだろうと あきらめた。  駐車場までの帰路、お弁当を広げて花見をしている四十代と思われる夫婦に出会った。  「 優雅でよいですね!! 」 と声を掛けると、「 コーヒーを飲みませんか?! 」 と、奥さんにいわれた。 遠慮 していると、 「 たくさんあるので、どうぞ!! 」 と、紙コップを取り出し、注いてくれた。 折角の行為に甘える ことにした。  話を伺うと、ご主人の仕事はなにかいわなかったが、全国に出かけ桜を多く植えてきたという。 この公園の桜も手がけた といっていた。  暇なときにこうして出かけてくるというが、自分の関係したところでお花見ができるなんて、すばらしいと思った。
食事もといわれ、ちらしすしをいただた。 お茶付きで ・・・
二人にこころからお礼をいって別れた。 二人の厚意は満開の桜とともに、思い出になった。 

谷汲公園の桜


まだ十三時前だったので、横蔵寺もと思ったが、山門の手前には桜があるような記憶はあるが、境内にはなかったような気が したので、やめたほうがよいかなと思い、駐車場の前の花を写して今日の撮影は終えた。

谷汲公園の桜


朝早く自宅をでたので、顔や手が汚れているような気もする。 温泉を検索し、少し離れているが池田温泉に入って から帰ろうと、車を走らせたのである。

(訪問)平成16年4月6日
(文作成)平成16年8月26日



 桜紀行 中部地方(5) 飛騨臥竜桜と高山へ                       



かうんたぁ。