京都山科の桜

(山科疏水、毘沙門堂、勧修寺、醍醐寺の桜)




東海道を歩いた時、山科の毘沙門堂へ寄った時、お堂の前でしだれ桜を見たので、桜の季節に訪れたいと思っ た。 
2005年4月5日、青春18きっぷで、名古屋から米原、そして山科へと電車を乗り継ぎ、山科駅 で降り、毘沙門堂に向かう。 毘沙門堂は、大宝三年(703)、行基によって、 創建された天台宗の五門跡の一つで、その後、寺は荒廃したが、江戸時代寛文五年(1665)に、天海僧正により この地で再(右)興されたという寺である。 左側の石段は勅使門(左)である。 右側の急な石段を上がると、お堂の前 にしだれ桜があった。 樹齢百数十余年、高さ約十メ ートル、枝張り約三十メートルのしだれ桜である。 毘沙門堂は、昔から桜の名所として知られ、この桜は左近の桜 として知られ、現在の桜は五代目と案内にあった。 多くの人が写真を撮っていた。



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お堂の左に坂道があったので、帰りはこの坂道を下ったが、この方が楽だった。 先程渡った橋は 琵琶湖から南禅寺まで続く疎水に架かっている橋である。 疎水に沿って桜が植えられた遊歩道が整備されている。  また、桜に加え、菜の花が植えられているので、菜の花の緑と黄色、そして、桜のピンクが良いコントラストを 造り出す。 更に、快晴の青空が加われば最高であるが・・・・ 



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この後、山科駅に戻り、地下鉄で小野駅に行く。 小野駅を降りると、西に向い勧修寺に行った。  この寺は、後醍醐天皇の祖母、宮道弥益の生家を寺にしたと伝えられる、真言宗の門跡寺院である。 堂々たる築 地塀が長く続く参道には桜が植えられていた。 また、その先の駐車場にも桜が咲いていた。



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大玄関に続く宸殿、重要文化財の書院は明正天皇の旧殿である。 本堂は、霊元天皇の仮内侍所で、 ある。 氷室の池の右手には観音堂があり、観音堂を取り囲むように桜が咲いていた。 氷室の池を中心とする庭園 は、池泉回遊式であるので、一回りまわった。 氷室の池には、菖蒲か睡蓮か分からないが、その跡が残り、その上 を白鷺が歩いていた。 



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この後、小野駅に戻り、地下鉄で醍醐駅まで行き、バスで醍醐寺に行った。 この時期は、 醍醐寺までピストン輸送でバスが運行しているが、乗るまでに二十分待たされた。 醍醐寺は、豊臣秀吉が亡くなる 数年前に、醍醐の花見と称して、大名や公家のみでなく、秀吉の身内の者も引き連れて、歴史に残る大花見の会を 行ったところである。 張り切って写真を撮ろうと思ったのも、束の間、多くの観光客でその夢も打ち砕かれた。  有料の金堂、五重塔や三宝院に入っても桜が撮れる雰囲気ではない。 諦めて、桜の馬場と呼ばれる総門から仁王門 までの参道を中心に写真を撮った。 



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その後、醍醐寺バス停から旧奈良街道を北上し、小野小町の屋敷跡だったという随心院に行った が、拝観時間を過ぎていて、中には入ることは出来なかった。 帰りは山科から米原まで快速で行き、名古屋までは 新幹線に乗った。 桜の旅としては、不満な部分もあったが、山科の名所を見ることができたので、よかったと思っ た。 






 桜紀行 近畿地方(6) 御所から北野方面へ                       



かうんたぁ。