『 桜紀行 京都の桜 2022 二条城・平野神社・高台寺 』

二条城の清流園に咲く桜は、円山公園に咲くしだれ桜と兄弟という。
平野神社の神紋は桜であるが、平安時代の中頃、花山天皇により境内に数千本の桜が植えられたのが始まりである。 
高台寺は豊臣秀吉の正妻・ねねの発願により、徳川家康が建立した寺である。 
方丈庭園にあるしだれ桜は京都の観光ポスターになっていた。  




二条城

令和四年(2022)年4月5日(火)。 
コロナ下であったが、増加から減少に転じ、外出が可になったので、 京都の桜を見に出かけた。

最初に訪れたのは二条城である。
日曜日の夜、NHKのテレビで、夜の二条城の桜と音楽のライブを放送していたので、 訪れることにしたのである。

唐門は、二の丸御殿の正門で、国の重要文化財である。
切妻造り、檜皮葺きの四脚門で、屋根の前後に唐破風が付いている。
門には長寿を意味する「松竹梅に鶴」や、聖域を守護する「唐獅子」など、 豪華絢爛な極彩色の彫刻を飾ります。
慶長七年(1602)から翌八年の建立され、寛永二年(1625)から三年に改修され、 現在の形になった。
平成二十五年(2013)の修復工事により、往時の姿によみがえりました。

NHKで放送された桜がどれなのかはわからなかったが、 二の丸御殿の北側にある北大手門の前に植えられているシダレ桜がきれいだった。

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二条城唐門
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清流園のしだれ桜
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清流園のしだれ桜
二条城唐門
清流園のしだれ桜
清流園のしだれ桜




神泉苑(しんせんえん)

この後、二条城の南にある神泉苑へ行った。

「 神泉苑は、延喜十三年(793)、桓武天皇が平安京を造営した時、 御所の附属庭園として造営されたものである。
池の湧き水がいつも枯れることがなかったので、神泉苑の名が付けられた。
徳川家康が、その北側に二条城を築城した時、 広大な御苑のほとんどが削られ、現在の大きさになってしまった。 」

当苑の法成就池が「御池通り」の由来となっている。
朱塗りの橋は、願いを込めて渡ると、叶うという、伝説がある。

池の中島には雨乞い伝説を伝える龍神が祀られている。

「 弘法大師・空海は、天長元年(824)、日本中の干天の際、 勅命により、善女龍王を勧請し、祈雨の法を修した。 
以後、神泉苑は名僧が競って、請雨法を行う霊場となった。
貞観五年(863)には、初めて神泉苑で、御霊会が執行され、 それが後の祇園祭の発祥となった。 」

神泉苑には、歴代の天皇が行幸され、宴遊、相撲、賦詩などの行事を行い、 弘仁三年(812)、嵯峨天皇は日本で初めての桜の花見の詩宴を催した。
現在は池の周りに桜が数本あるが、東寺真言宗のお寺の前のしだれ桜が特に美しい。

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法成就池
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龍神が祀られている
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しだれ桜が美しい
法成就池
龍神が祀られている
しだれ桜が美しい




平野神社

バスを乗り継ぎ、平野神社へ行った。

平野神社は、平安京遷都に伴い、延暦十三年(794)、 平城京より今木大神(いまきおおかみ)、久度大神(くどおおかみ)、 古開大神(ふるあきおおかみ)を勧請、遷座し、創建された神社である。 

江戸時代には、夜桜見物の名所になっていたようで、 今も桜の名所として有名である。
桜の季節は周囲を囲い、有料観覧になっていた。
境内には、約五十品種のサクラの木が植えられていて、 三月中旬から四月下旬まで順々に観賞することができる。

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平野神社鳥居
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平野神社の桜
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平野神社の桜
平野神社鳥居
平野神社の桜
平野神社の桜




白川通

白川南通りには白川が流れる。 
川に沿って、料理旅館や日本料理店がある。
川沿いに満開のしだれ桜や桜が風情を出していた。


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料理旅館白梅
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白川の桜
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白川のしだれ桜
料理旅館白梅
白川の桜
白川のしだれ桜





白川のほとりにある辰巳大明神は、京都御所の辰巳(南東)にあり、 御所を守る神社である。

祇園の人々からの信仰が篤く、特に芸事の上達を願い、手を合わせる芸妓さんや 舞妓さんの姿をよく見かける。
「祇園のお稲荷さん」とも呼ばれ、御祭神は狸。 
これは、かってこの界隈に狸が住んで、いたずらをして、人々を困らせていたため、 狸を祀る祠を建てたところ、治まったという逸話による。

巽橋からの風景は情緒があり、満足できるものである。
ここは白川南通りのはずれで、巽橋を渡ると祇園北部で、かっては茶屋が多かったところだが、今は料理屋やレストラン、飲み屋など雑然とある感じがした。

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辰巳大明神
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白川の桜
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巽橋からの桜
辰巳大明神
白川の桜
巽橋からの桜




高台寺

高台寺は、豊臣秀吉の菩提を弔うため、 正妻のねねが発願し、徳川家康が酒井忠正や土井利勝に命じて、 創建した寺である。

「 慶長八年(1603)、豊臣秀吉の正妻・ねねは、後陽成天皇より、 高台院の号を勅賜まると、秀吉の菩提を弔うため、寺院の建立を発願し、 徳川家康もその建立を支援した。
慶長十年(1605)、ここにあった岩栖院を移転し、実母の朝日局が眠る康徳院を移転し、 新たに、高台寺を建立し、その境内を整えていった。
合わせて、西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営しすることにして、 同年、伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭を移築して、自らの邸宅・高台寺屋敷きとした。
慶長十一年(1606)、高台寺は曹洞宗の寺として開山。  当初の仏殿は康徳院を移転し、改造したものだが、方丈と茶室は伏見城から移転した。 」

創建当時は北政所ねねの住居があり、入口の門と坂は、ねね様の台所に通じることから、 台所門と台所坂と呼ばれていた。
門をくぐると、料理が上手になると言われ、多くの料理人やかっては花嫁修業の方が ここをくぐり、天満宮をお参りをされている。

料金を払い中に入ると、日本庭園と開山堂が見えてきた。

「 創建当時は北政所の持仏堂であった。
寛永元年(1624)に仁和寺より招聘した三江紹益禅師が、中興開山し、 曹洞宗から臨済宗に改宗し、 三江紹益禅師の塔頭となったことから、開山堂となった。
堂内には三江紹益の坐像、北政所の兄・木下家定夫婦の木像、 高台寺造営に尽力した堀直政像が祀られている、」

大正元年(1912)に再建された方丈には、宝冠をつけた本尊・釈迦如来坐像が安置されている。
方丈の南側にある方丈庭園(波心庭)には、1本のしだれ桜があり、 妖艶たる花を咲かせていた。
江戸時代の都図会には、「 大木の桜数株ありて、妖艶たる花の盛は、 園内に遊宴を催し、春を惜しむともがら多し。 」 とあるが、 現在はこの木以外にはないようにおもえたが・・

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台所門
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日本庭園と開山堂
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方丈庭園のしだれ桜
台所門
日本庭園と開山堂
方丈庭園のしだれ桜




開山堂の手前にあるのは鶴亀の庭で、 観月池に架かる廊橋の中央に観月台がある。
開山堂の先のもう一つの池・臥龍池(がりゅうち)がある。

説明板「重要文化財 池泉回遊式庭園」
「 開山堂を中心に、西の観月池、東の臥龍池の二庭よりなる、池泉回遊式庭園である。 
小堀遠州の作による蓬莱式庭園で、国の名勝・史跡に指定されている。
観月池には、廊橋を架けて、中央に秀吉公遺愛の観音台(伏見城の遺構と伝えられるもので、国の重要文化財)を配し、池の中央に亀島を設け、 南岬には高く盛土をして、鶴島を表現しており、桃山江戸初期を代表する名園として、世に知られている。 
臥龍池は、高台寺建立以前の古庭園の名残りを、 残していて、鷲峰山より流れる菊渓川の水を入れいる。
開山堂から上の霊屋(おたまや)に向って、龍が昇っていく姿を表している臥龍廊もあり、 四季折々、楽しめる明庭園で特に秋の紅葉は有名である。 」

案内指示に沿って進むと、方丈庭園の東端に出たので、望遠でしだれ桜を写したが、 逆光で幻想的色合いが出た。


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鶴亀の庭
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臥龍池 (奥)臥龍廊
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方丈庭園のしだれ桜
鶴亀の庭
臥龍池 (奥)臥龍廊
逆光のしだれ桜




中門の先の石段を上り、左折すると正面に霊屋(おたまや)があった。

「  お堂の中に入ると、中央の須彌壇内に随求菩薩が祀られ、その左の厨子に北政所、 右の厨子に豊臣秀吉の木像が安置されている。 堂内撮影禁止
須彌壇と厨子には「高台寺蒔絵」と称される桃山時代の漆工芸の粋を集める、 華麗な蒔絵が施されている。 」

霊屋から少し戻り、上に上って行くと、傘亭と時雨亭があった。
傘亭と時雨亭は土間で繋がっていた。 
傘亭と時雨亭、は利休好みで、国の重要文化財に指定されている。

「  傘亭と時雨亭は伏見城から移築されたものである。
慶長二十年(1615)の大坂夏の陣では、高台院は、時雨亭の二階から、 燃え落ちる大坂城の天守を見つめていた、といわれる。
傘亭の正式名称は安閑窟という。 天井が竹で組まれ、 その形が唐傘に似てることから傘亭の名がある。
時雨亭は珍しい二階建ての茶室で、 二階南側の上段の間は、柱間に壁や建具を設けない吹き放しとする。 」

傘亭と時雨亭を繋ぐ土間廊下は、慶長年間(1596-1615)に高台院により、 両茶室が現在地に移築された際、付加されたもので、 両茶屋はもともと別々に建てられていた、と考えられている。 
土間廊下も国の重要文化財に指定されている。 

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霊屋(おたまや)
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傘亭
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茶室・時雨亭と土間廊下
霊屋(おたまや)
茶室・傘亭
茶室・時雨亭と土間廊下




円山公園

高台寺を出て、円山公園に向うと、法観寺の八坂の塔が現れた。

「 法観寺は、延喜式七ヶ寺の一つで、臨済宗の寺院である。
聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより、建立したと伝えられる寺で、隆盛を極めたが、 今は八坂塔と太子堂、薬師堂のニ宇を残すのみである。
八坂塔は、本瓦葺き五層、高さ四十六メートルの和様建築で、 白鳳時代の建築様式を今日まで伝えるものである。
現在に塔は、永楽十二年(1440)に、足利義教(よしのり)により、再建されたものである。
塔内には、本尊五智如来五体を安置している。 」

円山公園のしだれ桜には四回目の対面である。
こころなしか、痩せ衰えた気がした。
夕映えも終りになり、少し待てば屋勘照明になるが、経験済みなので、 「 がんばって生き続けて 」 と、そっと別れを告げた。

奥に行くと桜が咲いていて、二人連れが歩いていた。
コロナの最中なので、控え目なのが印象的であった。
八坂神社への帰り道には屋台が出ていて、いつもの風景であるが、 売れ行きはかんばしくないようであった。

以上で、2022年の京都の桜の旅は終了である。

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法観寺の八坂の塔
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円山公園のしだれ桜"
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円山公園の桜
法観寺の八坂の塔
円山公園のしだれ桜
円山公園の桜




 桜紀行 高知の桜                      



かうんたぁ。