高知の桜

―国内でただ一つ・未訪問だった高知県に行ったー

(平成21年3月26日〜29日)


・平成21年3月26日、これまで一度も訪れたこともない高知県への旅に 出た。会社にいた時、営業の仕事をしていた関係から、高知県以外はすべての県庁所在地に出張し ていた。 その当時はなんとも思わなかったが、会社生活を終わった現在、まだ行かないところ があるのは、なんとなく残念に思えていた。

・昨年、四国を旅して娘から大変よかったよ!!、という話を聞き、ぜひ行こうと思い、どうせ なら、桜の時期にと今回の計画になった。 名古屋からは、飛行機、フェリー、長距離バスがあるが、大歩危の風景が 見たいので、列車で行くことし、足摺岬や四万十川も見たいので3泊4日の旅にした。 

【 行程 】

3月26日 名古屋→(新幹線)→岡山→(特急南風)→高知→(レンタカー) →桂浜(宿泊) 3月27日 桂浜→(レンタカー)→岡豊城址、土佐神社→足摺岬(宿泊) 3月28日 足摺岬→ →(レンタカー)→中村→四万十川→高知(宿泊) 3月29日 高知城、高知朝市→→(特急南風)→岡山→ (新幹線)→名古屋


・初日は岡山からあんパンマンのイラストのある特急南風で高知に向う。 香川県から徳島県に入 り、阿波池田駅を過ぎると山道になり、列車はあえぎあいながら、一生懸命上り続け、やがて大歩危、小歩危があると ころにきた。 

・列車は渓谷に沿って進むが、沿線の所々に、山桜か?、桜の木があり、 咲き誇るように咲いていた。


大歩危の桜

大歩危の桜

・翌日は岡豊城址に行った。 戦国武将 長宗我部氏は、土佐の一郡から身を 起こし、土佐一国を平定したが、その根拠地となったのが、岡豊城で、城は残っていないが、輪郭は残っていた。 

・県立史跡資料館もあり、桜の名所になっている岡豊城址には、染井吉野 であるが、その数も多く、城跡から見た眼下の風景もよかった。


岡豊城址

岡豊城址の桜

・その後、土佐神社に向う。 土佐神社は、五世紀の創建と伝わる古社で、 土佐の一の宮で、広大な境内の中に、重要文化財の赤い鼓楼が建っていた。

・重要文化財の赤い鼓楼の赤とその傍の桜がうまくバランスを持ち、インパクトが あった。


土佐神社 鼓楼

・国道脇の重要文化財の楼門から長い参道が続く。

・参道の両脇には桜が植えられていた。

土佐神社参道

土佐神社の桜

・その夜は足摺に泊まり、朝、足摺岬を散策した。 海は穏やかだったが、眼下 を見下ろすと、岩にあたって砕ける姿は迫力があった。

・白い燈台に押し寄せる波。 地平線が湾曲していて、地球が丸いことが実感できた。

足摺岬

・足摺岬に行く途中にあった白山神社の桜が満開で、きれい だった。

白山神社の桜

・四万十市にある為松公園に行く。 ここは旧中村市で、中世は、土佐一条氏が 築いた中村城があったところである。 一条氏は、長宗我部氏に追放され、その後、城に入った吉良氏も滅亡、その後、 長宗我部氏、そして、山内氏の所有になったが、元和の一国一城令により、山内氏の陣屋になった。 遺構はほとんど ないが、犬山城を模した模擬天守閣の歴史資料館があった。

・城跡には桜が多くあり、天守閣の前にも数本の桜があった。 花見の名所になっているよう で、多くの人が車座になり、楽しんでいた。

市立歴史資料館

為松公園の桜

・最終日は高知城へでかけた。 高知城は、山内一豊が慶長6年に土佐に入り、 大高坂山に築いた城である。 明治に廃城になり、本丸周辺の建物と追手門を残して、取り壊された。

・天守閣は三層六階の十八メートル五十センチの高さがあり、国の重要文化財に なっている。

・千鳥破風、唐破風、入母屋破風を取り入れた風格ある造り の天守閣を桜を前景に入れて写した。

高知城 天守閣

・現在、石垣などに学術調査が行われ、史実に基づき、復元作業が行われていた 。

・天守閣から、追手門からの石段を見ると、まさに春爛漫の 風情であった。

三の丸への石段

・桜は開花から一週間位で満開になる。 高知は三月十六日に開花と新聞に載って いたので、なかば諦めていたのである。

・ところが満開の桜にめぐり会えた。   地元の人の話では、訪れている間は寒い日が続いたため、という。

満開の桜

桜 花


・寒さのお陰で、桜は散らないでもってく れたので、小生には思わぬプレゼントになった。

・この後、高知市の朝市を見て、昼の電車で高知駅を後にしたが、桜に満足した土佐だった。

 

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かうんたぁ。