『 た べ も の 談 義 』


====生活の中で、なにげなく食べている”たべもの”について、書きつづりたいと思います。 ====

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 うなぎ (1)

 2003年7月7日

今年も、土用の丑の日が近づいてきた。 土用の丑の日に鰻を食べる習慣があるが、これは江戸時代に平賀源内が夏場にうなぎの売れ行きが落ちることから、業者に頼まれて考えだしたイベントというが、夏バテになる時期に滋養たっぷりなうなぎを食べさせるのは現代でも通じる健康法で理にかなっている。
さて、うなぎに関するホームページを検索してみてください。 そば、ラーメン、パンやおにぎりなどは、料理法や歴史など、いろいろ書かれていて興味を引くが、うなぎの場合、店の紹介や広告ばかりである。 せいぜい、関西と関東の腹から割くか背から割くかとか、そのまま焼くか蒸してから焼くかの料理法の違い、と前述の源内程度の記事しかないのである。
昭和40年以前、川魚料理といえば、うなぎ、鯉、そして鮎であった。 最近は、それが、鮎とイワナそして鱒に変わった。 食する場所も、川下から上流に位置する辺鄙な場所が多い。
特に、昭和30年代以前は、うなぎやドジョウ料理を食べさせる飲食店や飲み屋がどんな町にもあり、特に海のない県では川魚が食の主流であった。 近所の川や沼、田で捕れた天然もののうなぎやドジョウ、鯉を食べさせていたのである。
柴又のうなぎや印旛沼の鯉のあらいなどは、まさにその代表だった。
科学肥料を田畑で使用するようになり、ドジョウは死に絶え、うなぎも捕れなくなった。 一方、鰻養殖がさかんになって、廉価でスパーでも売られるようになり、多くあった川魚店は姿を消した。
川の周囲にあるのが川魚料理というイメージもうなぎについては外され、都会の”ど真ん中”にうなぎ専門店が乱立するという不思議な時代に入っていったのである。 裏返せば、今や天然うなぎを出す店は、四万十川などの特殊なところを除けば殆どないのだろうし、それをだれも不思議に思わない時代である。
うなぎ養殖は、静岡の浜松で米作の転換による田の利用から始まり、成功した。 全国で安定的に鰻が食べられるようになった功績は大きい。 うなぎは浜松産がいいというイメージを確立したが、第1次石油ショック時の、冬場の暖房費高騰で困った業者が、コストのかからない高知や鹿児島に養魚池を移転し、浜松はすっぽん養殖に転換してしまう。
その後、もっと安いところを求めて、台湾や東南アジアに進出していく。
それなのに、浜松産が多く出回るのはなぜか?
それは、今なお、流通業者が浜松中心に機能していて、出荷前の一定日数を浜松の池に入れて浜松産として市場にだしていたのである。
ところが、このやり方は、産地虚偽になるとして、官庁による規制が強くなり、方向転換を余儀なくされている。
どのように対処するか?がうなぎ業者の命運を握る。


 うなぎ (2)

 2003年7月7日

養殖ウナギの収穫量を県別に見ると、1位は鹿児島県で、38%を占める。 愛知県34%、宮崎11%、静岡9%と続いて、その他8%である。
愛知県では、吉良町近くの一色海岸付近がメインで、県内では一色のうなぎが1番という評価をすでに確立していた。 浜松産は当地では蔭が薄い。
鹿児島産が国内最大の割に知名度が低かったが、昨年導入された原産地表示規定により、風向きが変わった。 それまでは、加工地であれば、浜松産と名乗れたが、難しくなった。 静岡産は国内の収穫量の1割しかないのであるから、流通業者や小売店は大慌てである。
現在、鹿児島県の大隅半島のうなぎを仕入れられるよう、地元の業者に折衝中らしい。
鹿児島産も中国などの安価な輸入品との競争に負け、最盛期の半分に減っているので、高級品のイメージが確立でき、最終消費地に直接出荷できれば申し分ない。
両者の思惑が一致し、地元ウナギ業者と静岡の食品商社が新会社を設立、養殖から加工、販売まで、一貫した体制を引くことになった。
今後、このような提携がすすみ、鹿児島産のうなぎブランドが確立される努力が続く。
有名うなぎ屋で、どこの産のどういううなぎを使っているか、公表しているところは少ないような気がする。
秘伝のたれというばかりで、秘密主義が”ウナギや”の特徴か?


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かうんたぁ。