{左}新所町の建物
「 関の小万が亀山通ひ 月に雪駄が二十五足 」 と、謡われた、仇討ちの烈女、小萬は、明和から天明にかけて、この旅籠、山
田屋(後の会津屋)で育った、といわれる。 現在は、街道そばなどの食事処になっている。 東海道は、地蔵院のところで、ゆる
くカーブしている。 地蔵院の東側が中町で、西側が新所町である。 新所町の大半の建物が、仕舞屋(しもたや)
風の平屋であるため、全体としてやや地味ではあるが、落着きのある等質性の高い町並みとなっている。 また、出格子や庇
(ひさし)の幕板(まくいた)などの伝統的な細部意匠が、比較的よく残され
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