{左}広重の東海道五十三次坂之下宿
室町時代の絵師、狩野法眼元信が、山の風景を描こうとしたところ、雲や靄がたちこめ、風景画めまぐるしく変わったため、つい
に描くことができず、筆を捨てたという伝説から名付けられた、とある山である。 正式の名前は、岩根山だったようであるが、
歌川(安藤)広重も、東海道五十三次の坂之下宿では、筆捨山を描いている。 右に下って行く小道は、東海道の残りとも思えるが、
途中で無くなっているようなので、歩かなかった。 道はより傾斜を増したが、起こしの坂と呼ばれた坂である。 坂を上りきる
と、筆捨山のバス停があった。 街道の雰囲気を残した
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