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■ 円山 枝垂桜 (場 所) 京都市東山区円山町473 円山公園内
円山公園には、ソメイヨシノ、山桜、八重桜、しだれ桜などが咲き競い、市内随一の桜の名所として知られている。
中でも、園中央にある大きなしだれ桜は、一重白彼岸枝垂桜という種類で、祇園の夜桜として有名である。
初代は昭和二十二年に樹齢二百年余で枯死したが、桜守、十五代の佐野藤右衛門氏が、初代の種子を採取し育成した樹を、昭和二十四年に移植したもので、現在の桜は二代目で、樹齢八十歳である。
夕方にライトアップされると、昼とは違った妖艶さが現れ、この桜の別の面を味わうことができる。
■ 二条城 (場 所) 京都市中京区二条通堀川西入ル
二条城は、徳川家康が慶長八年(1603)に京の宿館として建設した平城である。
家康と豊臣秀頼との会見がここで行なわれた。
また、幕末の慶応三年(1867)の大政奉還は、第十五代将軍、徳川慶喜により、ここで行なわれている。
本丸は旧桂宮御殿を移したもので、重要文化財、二之丸御殿は、絢爛豪華な建築と障壁画で、国宝に指定されている。
城内にはソメイヨシノ、イトザクラ、ヤマザクラ、シダレザクラが植えてあるので、咲く時期も多少違う。
■ 御所 近衛邸跡 (場 所) 京都市上京区 京都御苑
室町時代の近衛家には、糸桜が植えられ、桜御所と呼ばれていました。
その様子は、国宝、上杉本洛中洛外図屏風に描かれている。
その後、豊臣政権の時、御所の北側に移り造営されたのが今出川邸ですが、建物は残っていない。
その跡地に桜御所から移植されたという糸桜が咲いていた。
「 昔より 名にはきけども 今日見れば むべめかれせぬ 糸さくらかな 」
この歌は、安政弐年(1855)に、孝明天皇が近衛邸に行幸した時、糸桜を見物し、和歌一首を遺したものである。
花 期:白、紅などのしだれ桜が数十本植えられているので、3月下旬から1ヶ月楽しめる。
■ 御室おたふく桜 (場 所) 京都市右京区御室大内 仁和寺境内
仁和寺は、宇多天皇が仁和四年(888)に創建した寺ですが、その後、法親王が住持していることから、御室御所と呼ばれたようである。
朱塗りの中門をくぐると、御所の紫宸殿を移築した金堂、五重塔や観音堂が見えてくる。
境内に咲く桜は御室の桜と呼ばれ、背が低く、 花が低いため、おたふく桜とも呼ばれている。
遅咲きの桜ですが、約二百本あるようで、一斉に咲くと、桜が波のように広がっていき美しい。
■ 原 谷 苑 (場 所) 京都市北区大北山原谷乾町36
四千坪の敷地に樹齢五十年の紅しだれが百本以上ある。
ソメイヨシノ、みどり桜、黄桜、御室桜などの桜も見られ、その他にも、雪柳、ぼけ、レンギョウなども咲き、まさに百花繚乱。
但し、団体客が多いので、のんびり撮影するには向かない。
洛北の原谷にある個人所有のさくら園で、シーズン中だけ一般公開される(入園料1200円)
■ 阿亀の桜 (場 所) 京都市 千本釈迦堂
千本釈迦堂の境内に、阿亀の桜というしだれ桜がある。
本堂造営の際、棟梁が失敗したのを妻の阿亀の機転で切り抜けられたが、阿亀は、責任をとって竣工前に自害してしまった。
人々は阿亀を哀れみ、菩提を弔うために境内に、塚を建てて供養したそうである。
そういう伝承から阿亀の桜と呼ばれている。
千本釈迦堂の正式名は、大報恩寺で、鎌倉初期の安貞元年(1227)に、義空上人によって開創された真言宗智山派の寺である。
本堂は、応仁文明の乱の際の火災にも免れて、創建時のままで、国宝に指定されている。
■ 巽橋(たつみばし)界隈 (場 所) 京都市東山区元吉町
切り通しから白川南通、新橋通にかけては、祇園新橋伝統的建造物群保存地区に指定されている。
かっては茶屋が建ち並んだところで、風情ある町並みが残されている。
巽橋のすぐ近くにある辰巳大明神は、橋を渡る人を化かしては川の中を歩かせていた狸を祭神として祀っていて、
芸事の神様として祇園の舞妓さんたちの信仰を集めている。
祇園の雰囲気の残る景色と桜の組み合わせは絵になるでしょう。
■ 知恩院(ちおんいん) (場 所) 京都市東山区林下町400
秋の紅葉時にはライトアップもされるが、春の桜は名所でもない。
山門が閉まった夕暮れ時、桜がはらはらと降り落ちる。
二人の青年が何かを語りあっている姿が妙に印象深かった。
知恩院は、浄土宗総本山の寺院で、正式名は華頂山知恩教院大谷寺である。
寺の開基は法然上人で、ご本尊は法然上人像と阿弥陀如来である。
法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降ということでした。
■ 毘沙門堂のしだれ桜 (場 所) 京都市山科区安朱稲荷山町18
桜で知られる毘沙門堂は、七福神の一つ、毘沙門天を本尊とする天台宗の門跡寺院である(拝観料500円)
文武天皇の勅願で、大宝三年(703)に行基により、出雲路のあたりに開かれていたが、兵火にあい、荒廃してしまった。
その後、寛文五年(1665)、天海僧正によって現在地に再興されて以来、門跡寺院となった、とある。
急な石段を上って仁王門をくぐると、本殿、宸殿、霊殿などが並びますが、その前に、樹齢百五十年というしだれ桜が咲いていた。
■ 醍醐寺(だいごじ) (場 所) 京都市伏見区醍醐東大路町
醍醐寺は、豊臣秀吉が秀頼、北政所、淀君をはじめとした多くの女房衆を従え、花見の宴を催したことでよく知られている。
寺の総門をくぐると、左手に三宝院、右手に霊宝館がある。
総門前方の仁王門までの一直線の道を桜の馬場というが、当日も花見の客で賑わっていた。
(写真ー三宝院庭園のしだれ桜)
■ 山科疎水 (場 所) 京都市山科区
疏水は、明治期に琵琶湖から京都に引かれた水路で、舟運、発電、上水道、灌漑用水などの目的で作られたが、
現在は京都市に水道水を供給するのが主たる目的となっているようである。
疎水の両側の道は、約三キロの散策路として整備されたもので、秋には紅葉、そして、春は桜や菜の花に彩られる。
なお、ソメイヨシノは八百本植えられているということでした。
■ 勧修寺(かじゅうじ) (場 所) 京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6
勧修寺は、山号を亀甲山と称する真言宗山階派大本山の寺。
寺を開基したのはは醍醐天皇で、本尊は千手観音である。
皇室と藤原氏にゆかりの深い門跡寺院ですが、応仁の乱で伽藍を燃失、
その後、秀吉の伏見桃山城築城の際に寺領を大きく削られ衰退しましたが、天和二年、徳川家の寄進で現在の規模になった。
宸殿や書院は、このとき、明正天皇の旧殿を移転したもの。
また、氷室池は平安時代の優美な庭で、桜、藤、杜若、花菖蒲などが咲く。
■ 随心院(ずいしんいん) (場 所)京都市山科区小野御霊町35
随心院は、真言宗善通寺派大本山の仏教寺院で、空海の八代目の弟子にあたる仁海上人の開基で、本尊は如意輪観音である。
当寺の位置する小野の集落は、小野氏の根拠地とされ、小野氏の一族が栄えたところとされる。
仁明天皇に仕え、歌人として知られた小野小町は、この地の出身で、宮中を退いた後をここで過ごしたと伝えられてきた。
寺には、小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め、文塚、化粧の井戸などいくつかの遺跡が残っている。
醍醐寺の帰りに立ち寄りましたが、門前の桜が夕日に輝いていました。